ほうこ

32歳女、父は若年性認知症、母は癌。 だけど歌うように生きていたい。

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32歳女、父は若年性認知症、母は癌。 だけど歌うように生きていたい。

マガジン

  • 時をかけるおじさん

    65歳、若年性認知症の父は、 今日も過去も未来も星座も行き来している。 そんな、ときかけおじさんの話を、 歌でも口ずさむようなテンションで できれば書きたいなと思っています。

最近の記事

時をかけるおじさん 25 / また母のこと

久しぶりに1ヶ月半前の自分の文章を読み返してはじめて、どうにも似たような感情に襲われていたことを思い出した。 母は、なんでもよく、細かく覚えている人。 父は、なんでもよく、忘れる人。 私は父寄りで、かなり色々なことを忘れる人。 子供のこと、家計のこと、祖母の介護、世話、病院やお墓のこと、さまざまなことを母が動かしていた。 そんな母が、どうやら順番的に、先にいってしまうかもしれないということが、昨年に判明した。急激な痛みを訴えたことから詳しく検査をすることになり、遅れて発

    • 時をかけるおじさん 24 / ひとりになるということ

      今日は母が抗がん剤を新しいものにするため、昨日から二日間入院している。それにあわせて父もショートステイという短期宿泊のサービスを利用している。弟もこの家に同居はしているが彼女と半同棲していて不在。昨夜はすごく久し振りに、この一軒家で一人で寝て、一人で起きた。 なんてことはない。でも、ひとりの家に帰ることを久々にした。外泊などとはわけが違う。一人暮らしとは似ているがちょっと違う。かつて人がワイワイとしていた実家に、ひとりで帰るのだ。 今日がどうという話じゃなく、 この先、わ

      • 時をかけるおじさん 23 /僕らが旅に出る理由

        また書くのが久しぶりですが。 時をかけるおじさんこと、若年性認知症の父と、がん闘病中の母を持つ娘、ほうこです。 まあまあ悲劇的な肩書きですが、それなりに元気にやっております。 昨日イベントの仕事がありあまりに疲れ、宵っ張りの私が珍しく早寝をした。そして今朝はやおきができたので、昨日一日イベントを終えた謎の達成感があり、なんだか今日は仕事を休んでしまっていいような気がする!とふと思った。 そしてあろうことか、母に言った。 「箱根でも行かない?今日。」 と。 それが闘病中

        • 時をかけるおじさん 22 / 通所施設を探す旅

          こんばんは。ほうこです。またもや相当な期間が空いてしまいました。 先日、自分の文章を読んでいただいた方と直接お会いする機会があり、そんな経験も後押しして、改めて文章を書きたいという気持ちになり、過去に書きためてあった文章の続きの更新から、ちょっとずつリハビリがわりに文章を書いていきたいなと思っています。 ここ数ヶ月、特に大きな出来事があったというわけでもなく、淡々と日々は進んでおり、父の病気は目に見えて進行していたり、母の病気は目に見えづらいところで進行していたり。私は仕事

        時をかけるおじさん 25 / また母のこと

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        • 時をかけるおじさん
          24本

        記事

          時をかけるおじさん21 / ぐらぐら揺れる地面の上の家

          なんだかずいぶん期間が空いてしまいました。 覚えてらっしゃいますでしょうか。ほうこです。 今まではたまに書き溜めてはストックをアップするようにしていましたが、 今回は少し徒然なるままに書いてみます。あまり読まれることを意識せずに。ちょっと吐き出しているような感覚になるかもしれません。 疲れていると私は文章を書きたくなる。これは迷惑な話ですね。近年は、なるべく今の疲労感のレベルだったらこれはオンラインじゃなくてとりあえずオフラインで書いてからオンラインにのせるかを迷うものなん

          時をかけるおじさん21 / ぐらぐら揺れる地面の上の家

          時をかけるおじさん 20 / 介護認定ってなんだ

          イガイガ期の話に戻る。私は、焦ってもいたし、あっという間に迫り来そうな限界を、先んじて感じていた。 父に福祉的なサポートが必要なことはもう明らかだったし、もともと父の主治医からは「介護認定を受けたほうがいい」ともすすめられていた。結局母の病気のことが大きく背中を押す結果となったが、「みながすなる介護認定といふものを、我が家も受けてみむとてすなり。(土佐日記風)」ということに。 しかしそれってなんぞや?とまったくわかっていなかった私は、別分野ではあるが福祉関係に明るい伯母に

          時をかけるおじさん 20 / 介護認定ってなんだ

          時をかけるおじさん 19 / どうせ忘れるじゃん問題

          最近の話。ついつい、しょうがないような気もするけれどしょうがないで済ませてはいけないかもな、と思っている問題がある。 それは、 日々の父の行動について、 「どうせ忘れるじゃん」 と思っているということです。私が。 例えば、いつもリビングでテレビを見ている父。私は外から帰ってきて、翌日返さねばいけないのにまだ見ていなかった映画のDVDがあったので、「ちょっと映画みていい?」と聞くと、『ゴースト血管』についての特集を見ていた父が、「今大事なもの見てるからだめ」と言った。

          時をかけるおじさん 19 / どうせ忘れるじゃん問題

          時をかけるおじさん 18 / 小林くんへお手紙かいた

          母のがんが発覚し、私の心の中の嵐も吹きすさび、なんだかイガイガしていた頃のこと。 父が小学校の同級生の「小林くん」の話をしはじめて、昔チャンバラごっこをしたとか、笑いが止まらなくなるくらい毎日楽しかったなと繰り返し喋り始めた。もちろん私も、母も知らない頃の話だし、昔の話はよくするので、特に取り合いもしなかった。 その後、父は自分の部屋にいったかと思ったら数時間後にハガキを持っていた。おそらく寝室かどこかにあった異国の写真つきのポストカードに、小林くんあてに手紙を書いていた

          時をかけるおじさん 18 / 小林くんへお手紙かいた

          時をかけるおじさん 17 / 壊れたテレビ

          昨年7月頃の話。 数日前から父は、寝室のテレビが壊れたと確かに言っていた。私も余裕がなく、取り合わずにいたのがよくなかった。ふと父の寝室を覗いた母が、テレビの配線を外し移動しようとしはじめていた父を発見。 どうやら、半年ほど前にテレビの配置や契約などを変えた際に、業者にきてもらって配線を組んでもらったらしく、「外しちゃったらわからなくなるじゃない!!」と母は激怒した。 それに対し、「テレビの配線なんて難しいものじゃないし、今まで全部自分がしていたのだからそんなに喚き立てるな

          時をかけるおじさん 17 / 壊れたテレビ

          時をかけるおじさん 16 / 娘が引っ越してきた

          日にちが空いてしまいました。 そもそもこの「時をかけるおじさん」を書こう!と思い立ったのは、昨年の夏頃の様々な事件が起こった頃のことで。noteにアップしよう!と決めてからは、父の病気のことを基本的にその時点までの出来事を時系列で書いていた。 わかりやすいのですが、要はストックがなくなりまして(笑) なので更新は今後ゆったりになってゆきます。もうなってるけど。 さて話は、母のがん発覚より少し前に戻り、私が私の事情で、実家へ戻ろうとしていた頃について。 その意思は、私の中で

          時をかけるおじさん 16 / 娘が引っ越してきた

          時をかけるおじさん 15/ 閑話休題

          めずらしく、今日の話をしましょう。 いろんな嵐から早半年ほど経ったのだな。そして、少しずつ、私にも心の余裕が出てきたのかもしれない。 久しぶりに父と外出をした。私がスケッチなどをしたかった都合もあって、やや遠出して、大きめの公園まで。 母は抗がん剤の点滴をしたばかりの時期で、外出する元気はない。それよりもおそらく父を家から連れ出すほうがのびのびと過ごせるかなという思いも多少あった。 公園まではタクシーでいこうと決めていたけど、せめて迎車代をおさえようと思ったら結局十五分

          時をかけるおじさん 15/ 閑話休題

          時をかけるおじさん 14 / 母のがんが発覚

          二週間ほどして母は退院。その後も父は混乱がなんとなく続き、そして自主的な外出をまったくといっていいほどしなくなった。とにかく慌ただしく過ぎる日々に、こちらからも外出を促したり付き合ったりする余裕はなかった。 父はこのとき、自分の子供や孫の有無、住んでいる家、過去に自分が仕事をしていたかどうか、そういったことがわからなくなりはじめていた。問答をしているうちに少しずつ思い出してくるのだが、3人いる自分の子供の名前がすらすらと出てこないのには、少なからずショックを受けた。 そし

          時をかけるおじさん 14 / 母のがんが発覚

          時をかけるおじさん 13 / 母が入院しちゃったよ

          2017年5月のある日、母からLINEがきた。どうやら具合が悪いという。 日常的に連絡はよくとっていたが、母から体調不良を訴えられることはあまりなかった。 文面からなんとなく嫌な予感があり、ちょうど出先から帰る途中だったので実家に寄って帰ることにした。 普段はこまめに返信が来るのに反応が遅い。LINEの既読もつかない。色々なことで心配になり家につくと、顔色も悪く苦しそうな母。単なる風邪、というようなものではなかった。 救急車を呼ぼうかと話すが、痛みと苦しさのピークは越えたと言

          時をかけるおじさん 13 / 母が入院しちゃったよ

          時をかけるおじさん 12 / ボケキャラでいてほしい

          認知症と診断を受けたものの、二ヶ月に一度通院して薬をもらうだけの状況が、父への十分な治療だとは思えなかった。母が大変なこともわかっていたし、福祉的サポートが必要な時期だと感じてはいた。母ももちろん承知であったはずだけれど、母の想いは娘が思うよりも複雑だった。何よりも「旦那を介護する」というスタンスに、まだ慣れていない、うけいれられない、それが根底にありながら、目の前にある日々をなんとかこなすのみ。そして父は自分が病気でもない、ひとりでなんでもできると思っている。そもそも父は、

          時をかけるおじさん 12 / ボケキャラでいてほしい

          時をかけるおじさん 11 / 混沌とお風呂とニコラス・ウィントン

          ある日、外出先のレストランで、ワインを飲んで食事を楽しんでいるうちに父の様子がおかしくなりはじめた。席を立ってトイレに行こうとする父が、どうしても席を立てない。進むべき方向に行けない。ほかのひとのことばが耳に入らない。体の中のすべての信号がちぐはぐになっている、そんな様子だった。 酔っ払ったからなのか、とおもったが、電車に乗せられる状況では到底なく、なんとかタクシーに乗せ帰宅すると、発熱していたことがわかった。 これ以降、父は発熱すると、通常とはまったくちがう混乱を生じるよう

          時をかけるおじさん 11 / 混沌とお風呂とニコラス・ウィントン

          時をかけるおじさん 10/ ここはどこ、私はだれ?

          よく漫画に出てくるセリフ、「ここはどこ、私はだれ?」 父にとっては毎日がそういう状態になりつつあった。 診断のおりた年の夏、両親と娘の3人で東北へ家族旅行に出かけた。温泉などでさすがに男湯に同行することは出来ないので、慣れない場所で離れて行動するのには不安があったが、とりあえず迷子にはならなかった。とはいえ旅行中も父は、「自分が旅行中である」「温泉にきている」などがわからなくなるので、居場所や日時などを何度も聞かれる。これは日常的にもそうだが。 しかし温泉から出てくると、

          時をかけるおじさん 10/ ここはどこ、私はだれ?