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時をかけるおじさん 11 / 混沌とお風呂とニコラス・ウィントン

ある日、外出先のレストランで、ワインを飲んで食事を楽しんでいるうちに父の様子がおかしくなりはじめた。席を立ってトイレに行こうとする父が、どうしても席を立てない。進むべき方向に行けない。ほかのひとのことばが耳に入らない。体の中のすべての信号がちぐはぐになっている、そんな様子だった。
酔っ払ったからなのか、とおもったが、電車に乗せられる状況では到底なく、なんとかタクシーに乗せ帰宅すると、発熱していたことがわかった。
これ以降、父は発熱すると、通常とはまったくちがう混乱を生じるようになった。

もともとオシャレ好きだった父。外出機会も多かったころは身だしなみも普通にしていた父だったが、この頃になると、入浴を面倒がるようになったのだった。
何度も声をかけては、今入ろうと思ってたのに、という中学生的会話を繰り返し、しぶしぶお風呂に向かったかと思えば途中で目的を忘れて入っていない。そんなことが1日に何度も繰り返されると、気が狂いそうになる瞬間がある。着替えを用意しておいても、お風呂あがりにそれまできていたものをまた着てしまったり、夜中なのにすっかりお出かけモードの洋服を着たりする。そういうガチャガチャな状況になっていた。

母が洗濯物を干して出かけても、ふだんまったく家事をしないにも関わらずなぜか手伝おうと思ったのか、干してすぐの濡れた洗濯物を父が取り込んでしまうということもあった。

この頃私は同居していなかったのでよく母から愚痴だらけのLINEがよく来ていた。母にかかるストレスが尋常でないことはよくわかった。たまに実家に帰ると、まだ客観的に、新鮮に父の様子を見ることができた。時間があるとなるべく一緒に外出する機会をつくるようにし、一緒に映画を見に行ったりもした。実家の最寄り駅で待ち合わせをして、駅までは母が見送って父をバトンタッチをする。そういうやりとりだった。電車に乗るといつも決まって、学生時代の自分の通学ルートの話をする。そして二週間ぶりだろうが2日ぶりだろうが、「二人でこの電車乗るはじめてじゃないのか」と言う。
この頃の私は、忘れっぽい父のくせをからかう余裕があったのだった。

父の文章は、なんだかんだで父の思考をよくあらわしている。映画はとても好きで社会問題への意識も高かった父だったが、映画を見ていても理解できない範囲が増えたのだろう、隣で見ていても寝てしまっていることも多くなった。目の前で起きている10分程度以内のことまでが記憶の範囲なので、その都度忘れてはつっこまれて思い出しまた忘れるの繰り返し。

そして「どういうストーリーだったかはほうこに聞いてください。」と書いてあるので説明すると、
「ニコラス・ウィントンと669人の子供たち」は、有名なイギリスのシンドラー、日本人の杉原千畝のように、第二次大戦下で、ユダヤ人の命を救ったうちの一人、ニコラス・ウィントンにまつわるドキュメンタリー。彼は669人ものユダヤ人の子供を救ったのだが、そのことを五十年間誰にも話さなかった。氏の奧さんが偶然屋根裏でその資料を発見しそれが発覚して世間に知られるようになったという彼の、生い立ちも含め再現され、50年の間で救われた子供達がまた家族を作り、そうやって残された命をつないだ人たちが一同に会してニコラスにお礼を伝えにくる、といったストーリー。

とにかく感動しますよ、というオススメの仕方はしたくないが、自分の行動によって善意の連鎖がつながれていくというのは、本当に尊いなと思った。もう一度見たい。

なぜか今日は映画紹介になってしまいました。

今気づいたけれど、父の日記の中では30人増えてるな。

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