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時をかけるおじさん 14 / 母のがんが発覚

二週間ほどして母は退院。その後も父は混乱がなんとなく続き、そして自主的な外出をまったくといっていいほどしなくなった。とにかく慌ただしく過ぎる日々に、こちらからも外出を促したり付き合ったりする余裕はなかった。

父はこのとき、自分の子供や孫の有無、住んでいる家、過去に自分が仕事をしていたかどうか、そういったことがわからなくなりはじめていた。問答をしているうちに少しずつ思い出してくるのだが、3人いる自分の子供の名前がすらすらと出てこないのには、少なからずショックを受けた。

そして母の退院から1ヶ月が過ぎた頃、経過検診でCTをとった。
私は私の個人的な事情で、実家への引越しを決め、厳しい心境の中で片付けの真っ最中だった。
そして思いがけない母からの連絡で私は息を飲んだ。
医師から、「重大な病気の可能性があるからすぐに他の病院で再検査をしたほうがいい」といわれたという。要するに、入院中も、退院後もしばらく見落とされていた、重大な事実があったのだ。

すぐに親戚に相談をし、紹介をしてもらった病院で検査を受ける。
診断はがんだった。ステージは4。
原発は、十二指腸乳頭というきわめて発見しにくい場所にあったという。
そして病巣は大腸などにも飛んでおり転移が見られるため、手術は難しく、抗がん剤で治療して行くしかないという。

正直に言って、絶望しかなかった。癌というものがそもそもわかっていない、またいままであまり病に伏せる母を見たことがなかったこともあり、母が癌であるという事実は、かなりガツンと来た。
父の病気はいまにはじまったことではなかったし、どちらかというとじわじわと押し寄せる波が気付けば足元まで来ていた。そんな感覚だったが、母の病気は、言うなれば津波だった。ずぶ濡れになったのは私だけではなく、家族、そして何よりも母自身にショックを与えた。今年は年が越せないのかしら、という母の言葉を誰も強く否定できない。みんなそういう心境だったのだ。

改めての検査入院。また体制としては緊急体制がしかれたが、私が同居しはじめたことで以前よりは落ち着いていた。が、心はずっと嵐が吹いていた。

文・絵 / ほうこ

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