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時をかけるおじさん 10/ ここはどこ、私はだれ?

よく漫画に出てくるセリフ、「ここはどこ、私はだれ?」
父にとっては毎日がそういう状態になりつつあった。

診断のおりた年の夏、両親と娘の3人で東北へ家族旅行に出かけた。温泉などでさすがに男湯に同行することは出来ないので、慣れない場所で離れて行動するのには不安があったが、とりあえず迷子にはならなかった。とはいえ旅行中も父は、「自分が旅行中である」「温泉にきている」などがわからなくなるので、居場所や日時などを何度も聞かれる。これは日常的にもそうだが。

しかし温泉から出てくると、自分の脱衣かごがわからなくなってしまったようで、他人の下着をはいてでてきてしまった。正直言ってなすすべがない。

基本的に疲れやすくわがままもいつも以上に出るが、なんとか帰宅。
旅行はもうずいぶん前から、父と母二人では到底成り立たなくなっていた。迷子や行き倒れになる心配を常に抱えた母が右往左往して、結局へろっへろになってしまうからだ。

秋先、映画を見に行こうという約束に、スキーに出かけるようなダウンジャケットを着てきたことがある。気候やシーンに適当なものを選ぶという行為って、なかなか高度なことだったのだなということに気づいた。

父は基本的にお出かけするのは好きだった。
ただし気まぐれでもあるので、いざ動き出そうという頃には「めんどくさい」とか言い出したりもする。自力の外出は年々腰が重くなっていたが、極力外へ連れ出そうと母は懸命に誘い出し、週に何回か外出はしていた。
ただ、どれだけ色々なところに行って楽しそうにしていても、結局帰るとその日のことは自分が外出した事すらきれいさっぱり忘れている。しょうがないしその時楽しければいいか、とは思いながらも、やるせない思いはどうしようもない。毎日一緒にいて外出もなるべくしようと努めていた母には特に、そのストレスはより大きかっただろう。

この頃まだ両親と同居していなかった私は、ちょうど仕事もフリーになった合間で仕事もあまりなく、また運動不足にもなりがちだったし、絵の練習などのためスケッチもしたかったので散策はちょうどいいかと、なるべく父と出掛けることを試みていた。また私がスケッチをしている間に父がヒマにならないように、あるいは父の記録となるように、父自身が書くためのノートを持っていくようにしていた。

あ、えらいとかじゃなくて、まあ、お茶したり映画みたり、買い物して服を買ってもらうとか、私にも旨味はあったのでやっていた節がある。ははは(^◇^)

父も文章を書くのはわりと好きだったようだが、いかんせん気分に任せてノートをたくさんつくるタイプ(私も一緒だ)なので集約されていない。なので、せめてその散歩の時には私が持参して父に書いてもらおうと思ったのだった。

結局そんなに長く多くこの散歩は続かなかったけれど、ノートに書かれたすっとぼけの父の言葉は結構面白かったのでちょこちょこ紹介していきたい。

   2016年12月30日 父の日記より

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