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国家公務員を辞めてフルコミ営業へ

転職してから1か月半経った。

今僕がどんな仕事をしていて、
どんな気持ちで転職したのかを一度まとめてみることにした。

自分の考えを周りに伝えるのは昔から苦手だけど、
是非最後まで付き合ってくれると嬉しい。

特許庁、辞めちゃいました。

2022年4月3日付で3年間勤めた特許庁を辞めた。

そもそも特許庁のことは皆さんご存じだろうか?

特許庁(とっきょちょう、: Japan Patent Office、略称JPO)は、日本行政機関のひとつ。工業所有権関連の事務を所管する経済産業省外局である。発明実用新案意匠及び商標に関する事務を行うことを通じて、経済及び産業の発展を図ることを任務とする(経済産業省設置法22条)。
特許庁-Wikipedia

特許庁とは経済産業省の外局にあたる国の行政機関。
僕はいわゆる国家公務員だった。

仕事内容を簡単に説明すると、

「人のアイデアを守る」

日本は資源が少ないが、その代わり優れた技術や発明をたくさん持っている。

例えば、スマホの顔認証機能だったり、雪見だいふくの作り方だったり・・・そういった様々なアイデアに対して特許権等の権利を与えることで、他の人が容易にマネできないようにしている。

最先端の技術を通じて、日本経済の発展を身近で体験することができるそんな誇りある仕事だった。

しかも、特許庁は職場環境が抜群に良く、職場の人も全員優しくて、世間からの信頼も高かった。

特許庁で働いていることを誰に言っても

「すごいね!」「頑張ったね!」

と言われたし、そんな特許庁で働いている自分を誇らしくも思っていた。

だけど、そんな特許庁を僕は4月3日に辞めた。

特許庁に入った理由

無難な安定的な毎日を過ごしたかったから。

これが僕が特許庁を選んだ理由。

そもそもやりたいことなんて全くなく、

転勤もしたくないし厳しい環境で仕事をするのも嫌だったので
なんとなく公務員を目指した。

様々な公務員の説明会に参加して、
その中で雰囲気が抜群に良かった特許庁に入ることを決意した。

最先端の技術に触れ、
日本の未来に関われる明るい仕事だとわくわくした。

特許庁を辞めた理由

他の環境で本気で勝負をしたいと思ったから。

特許庁に対して大きな不満はなかった。

それなりに給料ももらっていたし、
職場環境も人間関係もかなり良好だった。

仕事終わりや土日も遊ぶくらい職場の人とは仲が良かったし、
特許庁を離れても一生仲良くしていたい人ばかりだった。

それに国家公務員だったから、
定年まで雇用は保障されていたし、
年齢を重ねれば確実に給料も役職も上がる。

でも、僕にとって安定した約束された未来は魅力的ではなかった。

「このまま定年を迎えてもいいのかな?」

そんな漠然とした不安が僕にはずっとあった。

それもそうだ。

とにかく僕は平日が早く終わることしか考えていなかった。

「次の休日どうしようかな」
「華金は誰と遊ぼうかな」
「誰と飲みに行って、どこのサウナに行って、どこで麻雀しようかな」

仕事が終わった後のことしか考えていなかった。
平日5日間は心を無にして仕事をしていた。

まさに社会の歯車として働いている感覚があった。

決して特許庁が悪いとかでの話でなく、
ほとんどのサラリーマンがこんなことを考えているのではないだろうか。

ただ「これがずっと続くのかな?」と考えた時に
僕はすごく怖くなってしまった。

そして公務員は年功序列だ。

つまり、どんなに頑張っても自分の役職や給料には限界がある。

特許庁の給与担当と人事担当を経験したことのある僕だからこそ、
尚更そのビジョンが明確に見えた。

僕はエネルギーのある若い時にこそ、
本気で人生をかけて勝負をして、
多くの経験や能力を身につけたいと思った。

僕がこれから進む道は僕自身で切り拓いて行きたい。

会社に依存せず、
1人の力で生き抜く力が
僕は欲しかった。

だから本気で勝負のできる環境に転職したいと思った。

でも僕には無かった。
転職する勇気が。

1年間必死に勉強してようやく入ることのできた職場。
社会的地位もある。
信頼も厚い。
仕事もやりがいがある。
多くのかけがえのない仲間もできた。

こんな素敵な職場を離れる勇気には僕には無かった。

学生時代について

少し話が遡って僕の学生時代の話。
僕は高校まで剣道を本気でやっていた。
生活の全てを剣道に捧げていたといっても過言ではなかった。

その結果、
多くの仲間に恵まれて、
中学・高校ともに全国大会に出場することができた。

ただ、今でもずっと心残りな事がある。
それは、高校最後の夏の県大会だ。

僕のポジションは副将。
5人チームの中で4番目のポジション。

準決勝でライバル校と当たり、
先鋒・次鋒・中堅と前3人が引き分け。

そしていよいよ僕の出番。

絶対に大将に勝って繋げようと意気込んでいたのをよく覚えている。



結果は僕の1本負け。

そしてその後の大将も引き分け。
僕の負けが原因でチームが敗退し、
僕たちの高校剣道は幕を閉じた。

人生で一番泣いたのを覚えている。
本当に悔しかった。

高校では剣道に伸び悩んでいて、
どうにか必死で結果を出そうとしていたが、
結局最後は僕の実力不足で負けてしまった。

そして何よりチームや監督、
OBや保護者の方々への申し訳なさでいっぱいだった。

たくさんのお金と時間をかけてくれた僕の親にも
申し訳なかった。

結果で恩返しするつもりだったはずが、
その夢は叶わなかった。

この時、僕は理解した。

必ずしも努力すれば結果に結びつくわけではないと。

そして同時に誓った。

もう絶対に周りの人や親に迷惑をかけずに生きていこうと。

僕が一生懸命何かに夢中になって、それが失敗した時に、多くの人を傷つけてしまう。

それ以降、
僕は本気で勝負することが怖くなって、
勝負しない穏やかな世界で生きていくことを心に決めた。

そして大学に進学し、就活の時期になった。
もちろん民間企業に行ってバリバリ働く意思もなく、
順位の出ない安定した公務員になろうと決めた。

僕の人生史上一番勉強しました。

精神的にかなりきつかったけど、
何とか特許庁から内定をいただいて、
国家公務員としてのキャリアを歩み始めることができた。

これで一生、
勝負することもなく、
世間からの信頼も厚い、
安定した職場で働くことができると。

ただ、
特許庁に入ってから、
僕はずっともやもやしていた。

多分、
いやきっと、
高校まで本気で勝負していた頃の
あの熱い感情を僕は求めていた。

それをずっと心の片隅に閉じ込めていただけだった。

BVEATSとの出会い

そんなもやもやがずっとあったので、
とりあえず転職サイトにいくつか登録した。

ただ、どこの企業も僕にはいまいちピンとこなかった。

なぜなら、特許庁の方が断然いい職場だったから。

転職活動を始めて改めて再認識した。
本当に特許庁はいい職場であると。

「転職する勇気も無かった」
「特許庁よりもいい職場もなさそう」
「転職は別に今じゃないかな」

そんな風に考えていた。

ある日、僕は大学のゼミの忘年会に招待された。

この日が僕の人生の分岐点。

久々にみんなと会って、
近況報告だったり、
仕事の愚痴を言い合っている中、
一人だけ異常なエネルギーを持った男がいた。

それが樋口駿太朗。


25歳にもなったのに、
めちゃくちゃお酒も飲むし、
仕事終わりでくたくたなはずなのに、
ずっとハイテンション。

「そういえばこいつ、最近転職したんだっけな・・・?」

そこで僕は駿太朗に

「転職で悩んでいるんだけど、少し相談させてくれ」

となんとなく言ったのを覚えている。

そして後日、駿太朗と恵比寿で1時間ほど転職相談した。

そこで初めて「BVEATS」と出会う。

駿太朗の転職先こそ、まさに「BVEATS」だった。

BVEATSとは

・完全マンツーマンのパーソナルトレーニングジム
・都内に10店舗展開
・月額3万円で「どこでも」「何度でも」受けれる

簡易的ではあるが、BVEATSのサービス概要は上記の通り。
詳細についてはこちらのURLをご覧ください。

BVEATS | 脈を上げろ。

駿太朗は「BVEATS」について色々と教えてくれました。
どんな経緯で転職して、
どんな気持ちで仕事をしているのか。

駿太朗はBVEATSの営業担当だった。
BVEATSの営業は、

「完全歩合制」

信頼と結果が求められる本気の勝負の世界。

僕はこの話を聞いて、
剣道をやっていた頃の熱い気持ちをようやく思い出した。

7年間心に眠っていた感情が
ふつふつと蘇ってきたのだ。

BVEATSの全員が本気で勝負をしている。
この勝負の世界に飛び込んでみたい。

ここで結果を残すことで、

高校最後の県大会で心に刻まれた勝負への恐怖心を
払拭できるのではないか。

そして、1人で生き抜く自信と実力を手に入れられるのではないか。

そう直感した。

何よりも、
同い年の駿太朗が本気で仕事をやっていて
結果を出しているという事実に
めちゃくちゃ嫉妬した。

僕もこの世界で絶対に結果を出して追い越してやろうと思った。

それから僕はBVEATSにお客さんとして通った。

感想。
めちゃくちゃきつかった。

久々の運動という理由もあるが、
ありえないくらい心拍数が上がった。

でも、めちゃくちゃ楽しかった。
達成感と高揚感、身体面だけでなく精神面にも効果があった。
運動嫌いだった僕が、早く行きたいと思うほどに楽しかった。

このサービスであれば人に心からお勧めすることができる。
僕はそう確信し、BVEATSへ転職することを誓った。

BVEATSに入るまで、そして今

それから僕は行動が早かった。
2月にBVEATSにエントリーし、
3月には辞職願を出していた。

そして4月からBVEATSの営業として仕事を始めた。

最初は、

・駿太朗を超えたい
・1人で生き抜く力が欲しい
・本気で勝負したい

という自分の感情だけで仕事をしていたが、
今は少しだけ変わった。

今は、この仕事を通じて色々な方に恩返しをしたいと思うようになった。

1人だけでは決して生きていけない。

多くの人の支えがあるから、
これまで生きてこれたんだなと
この仕事をすることで心から感じた。

多分転職していなければ、
こんな当たり前の事に一生に気づかなかった。

本当にこの1か月間は多くの方に感謝をしている。

最後に

僕はこれから「日本一の営業マン」を目指します。

僕が剣道をやっていた時に、
心からなりたかった日本一に、
仕事を通じて目指していこうと思います。

きっとその頃には、
より多くの経験と実力がついているでしょう。
より多くの方に囲まれて生きているでしょう。
より多くの方を喜ばせることができているでしょう。

そんな素敵で大きな人間に僕はなります。

これから本気で頑張るので
是非応援していただけますと嬉しいです。

自分の感情に正直に、
そして多くの方を喜ばせることができる
素敵で大きな人間になれるよう頑張ります。

2022年5月19日 堀田剛志



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