エミーナの朝(6)
駅前通りクリニック
薄明かりの中で目覚めた。よかった。自分の部屋である。
でも夢を見ていた。
月あかりの下、草が目の高さまである見通しのきかない草原を歩いている。
誰かに見られている。後ろを振り返る。
とたんに、その『誰か』となったわたしは、草の間から、わたしを見ている。
わたしがわたしを見ている。
わたしは声にならない声で不安そうに言った。
「あなたは……、いえ、わたしは誰?」
ここで目が覚めたのだ。
お水を飲んでから、また横になった。
何も考えられず、しばらくぼんやりしていた。
そのうちに思い出した。
病院……、そうナゴンに言われて、きのうは、クラスター総合病院を受診したのだった。
そして今日は、クラスター総合病院で紹介された心療内科クリニックに行くことになっていた。きのう既に予約してある。
洗濯機のセット、朝食、コーヒー、洗濯物干し、メーク、トイレ、着替え……と、毎日のルーチンワークをこなした。
心療内科クリニックに出かける時間となった。女の秘密道具をバッグに詰め込んでクルマに乗り込んだ。
住宅街からクルマで10分もかからない駅前通りにクリニックはある。
クラスター総合病院からすでに症状は連絡されていたらしく、受付も医師との対応もスムーズであった。
一通りの確認があった後、心理カウンセリングの部屋に案内された。
そこで心理カウンセラーによるカウンセリングが始まった。
カウンセラーにいろいろ聞いてもらった。
エミーナ自身の両親が早くに亡くなったこと、しばらく一人で生きなければならなかったこと、つらい日々の中で優しい彼との出会いがありその人と結婚したこと、その夫に先立たれて一人になったこと、打ち明け話ができる親友ができたこと……
これ以後、カウンセラーと話すために、クリニックに何度も通うことになった。
勿論、ナゴンには診断内容を伝えた。ナゴンは、涙声で話しているわたしに「わたしが居るじゃないの。なにも問題ないわよ」と言ってくれた。
ナゴンは今まで以上に楽しくしてくれていた。今のところはナゴンには迷惑をかけていないみたいで安心した。
しばしば、夢を見るようになっていた。
夢遊病は何も憶えていないのが普通なので、カウンセラーに言わせれば、いい傾向のようである。
最初は、以前の夢のように誰かに見られている夢だった。その誰かは夢を見るたびに次第に明確になった。姿かたちは見えないが、それは先立った夫であると直感でわかった。
夢の中の夫は、最初のうちは何か言いたそうだった。言い出したと思ったとたんに目が覚めていた。
何度も夫の夢を見るうちに夫の言っている意味が伝わって来るようになった。
『いつも君を見ている』
そんな夫の気持ちが伝わってきた夢を見た。
目が覚めて窓辺に立った。明るくなってきた空を見上げ、夫との想い出に浸った。
「わたしの横で眠っててほしい。トーストと卵焼きの匂いの中で目を覚まして……」
いつか忘れ去るのだろうか。永遠にこんな夢を見ているのだろうか。
こんな夢の話もカウンセラーに話したことがある。
カウンセラーは、わたしから夫の想い出を引き出すのが上手で、沢山のことを想い出すことができた。
そんな想い出を思い出す毎に気持ちが落ち着いた。
それと同時に、夫の記憶だけではない何かが、わたしの頭の中に次第に形づくられているような感覚がしていた。
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