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雑学マニアの雑記帳(その16)香りの記憶

何十年も嗅いだことのない香りでも、再び嗅いだ瞬間にその昔の記憶が蘇ることがある。修学旅行で行った京都のお寺に立ち込めていた独特な「お香」の香り、あるいはアメリカの中華料理店内に漂っていた印象的な香りなど、もう記憶の彼方の出来事だと思っていたことが一瞬にして蘇るのだから不思議である。
そもそも、香りというものは記憶に残っているからといって、何の匂いも嗅がずにその香りがどのようなものであったか、記憶を呼び覚ますことは難しいと思う。視覚的な記憶ならば、富士山でも東京タワーでも容易に頭の中で思い浮かべることができるのに対して、香りの記憶を頭の中で再現することはできない。鰻屋の換気扇から押し出されてくる香ばしい香りや、お椀を開けた時に立ち上る柚子の香り、あるいは温泉の硫黄臭など強く印象に残る香りでさえ、頭の中だけでは再現・想起することはできない。それが実際に香りを嗅ぎさえすれば、その瞬間に、たとえ微かな香りであってもはっきりと認識できるのだから面白い。
一方、嗅覚以外の他の感覚はどうだろう。例えば聴覚は、視覚と同様に頭の中で再現することが可能である。知らず識らずのうちに頭の中で音楽が鳴っていることすらある。一方、味覚は微妙である。例えば酸っぱい梅干しの味は、なんとなく頭の中で再現することができるようにも思える。落語「しわい屋」では、梅干しを眺めて口の中が酸っぱくなってきたら、それをおかずにご飯を食べるという話があるくらいだ。ただ、酸味以外の味はなかなか頭の中で再現されないようにも思う。鰻の味を頭の中で再現してご飯を掻き込むという訳にはいかない。アイスクリームの甘み、ビールの苦味、ポテトチップスの塩味、況してや芳醇な純米酒の旨味などは、頭の中で再現しようと思っても、それは不可能だ。(自分だけその能力が無いという可能性はあるが…)
面白いのは、頭の中である程度思い起こすことのできる「視覚」、「聴覚」については、録画や録音の技術によって機械的にも記録・再生ができるということだ。それに対して匂いや味を記録・再生する仕組みは今のところ実現されていない。やはり、本質的に難易度が高いのだろうか。味覚においても、辛うじて酸味については、水素イオン濃度として測定することが出来て、同濃度の溶液を再現することも不可能ではなく、記録の難易度は高くない。一方、酸味以外の味は、より複雑で単純にデジタル化して記録・再生できるものではなさそうだ。
尤も、この「頭の中で再現できるものはデジタル化して記録できるのではないか」という仮説は完全に素人考えで、想像の産物でしかない。頭の中で再現可能な記憶と再現不可能な記憶、この違いがどこから来るものなのか、いつか専門の研究者に聞いてみたいものである。
さて、この仮説の話は置いておくとして、我々は印象的な香りの記憶を何十年もの間、正確に保持しているのは紛れもない事実である。同種の香りに遭遇した途端に、その記憶が蘇ることがあるというは、経験上確かである。しかも、その香りに関連して、その昔にその香りを嗅いだ時の状況など、関連する記憶も併せて蘇ってくることさえある。逆に言えば、その香りを嗅がなければ思い出すことのない記憶が我々の頭の片隅にひっそりと眠っているのだ。
同じように、香りではなく、音の記憶や画像の記憶に紐づいている思い出というのもある。昔流行っていた歌などを聞いて、突然当時のことを思い出したり、古いアルバムの写真を見ていて改めて蘇ってくる記憶もある。
つまり、記憶として頭の片隅には残っているものの、その記憶を引っぱり出すための糸口は、香りや音や画像の記憶に紐付いているようなイメージだ。普段の生活の中ではまず思い出すことのない記憶でも、関連する香りを嗅いだり、音を聞いたり、画像や映像を見たりすることで、呼び起こされる記憶があるのだ。
その糸口となる音や画像であるが、レコードやCDに録音されている音源や、映画の映像やネット上で見つけることのできる風景写真であれば、それらを再び見聞きする機会もあるだろう。しかしそれが、個人的な録音や写真であるような場合、世界にひとつしかないことになる。従って、万一それらを断捨離してしまうと、その瞬間に、それらに紐付く記憶は頭の中から取り出す手段を失ってしまうことになる。断捨離という人間の脳と直接関係の無い場所での「外部行為」が、頭の奥にひっそりと記憶されている情報を永遠に取り出せないものとしてしまうのだ。間接的に脳の中の記憶が断捨離されると言っても良いだろう。
もしも、知らぬ間に家族が自分の記憶の糸口と成り得る写真などを処分してしまったならば、その瞬間に自分の頭の中の記憶の糸も断ち切られてしまうことになる。
将来、脳のメカニズムの解明がどんどん進んでいけば、「記憶の糸」を失って二度と思い出されることが無くなったはずの記憶でも、再び取り出す技術が開発されるのではないか、などと妄想することがある。タイムマシン的に、突然昔の出来事が鮮明に思い出されたら面白いだろうなとも思うし、せっかく忘れることが出来た「二度と思い出したくないこと」が蒸し返されたらたまらないとも思う。おそらく理由(わけ)あって忘却という機能が我々の脳に備わっているのだろうから、せっかく忘れたことは、そのままそっとしておくに限るのかもしれない。

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