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便利だけでは十分ではない!?自動化する大学のサポートを考える(関西学院大)

ITであったり、AIであったり、さまざまな技術の発展によって、世の中は日に日に便利になってきています。もちろんこれは大学も例外ではなく、以前なら想像もつかなかったサービスやサポートが現実のものとなり、学生生活に取り入れられるようになってきています。関西学院大学が11月からはじめるサービスも、そんな次世代の予感がする取り組みです。

関西学院の取り組みは、就職ガイダンスをウェブ動画で公開し、いつでもどこでも閲覧できるようにする、というもの。自分自身の学生時代と比べてみると、隔世の感がすごいです。ただ、この便利さに惹かれる一方、就職ガイダンスは、決して情報を得るだけの場ではなかったように思うのです。何の気なしに就職ガイダンスに参加して、想像していたよりも学生が多くいて驚くとか、そこにいる学生たちが自分の何倍も優秀に見えて焦るとか。“就活の今”と“自分の今”との温度差や距離を肌で感じことが、就職ガイダンスの大切な意味だったように感じます。

だいいち、就職活動に関わる情報なんて、私が就活をしていた当時でさえ、ウェブを探せばたくさん見つけられました。今ならもっと簡単に、もっと大量に見つけられるはずです。だとすると、今の就職ガイダンスは、私の就活時代よりも、さらに情報より、それ以外の部分に価値が置かれるはずです。しかし、ウェブ動画によるガイダンスだと、情報以外の情報、たとえば場の雰囲気や他の学生の本気度合いといったものは、なかなかうまく伝わらないように思うのです。

さらにいうと、就職に対して意識が高い、ないしフツーの学生であれば、自主的に動画を閲覧するでしょうが、そうでない学生は自主的に動画を見ない可能性があります。私は非常にグータラな学生だったので、友達が行くのでそれに連れられて就職ガイダンスに参加していました。一人で自主的に、となると、たぶんやらなかっただろうなぁという気がします。

今後、労働人口が減り、ますます技術が発展していくことを考えると、大学においても、あらゆるシーンでウェブ化、機械化、自動化が進んでいくでしょう。これら状況を強引にまとめると、“利用者がより利用しやすくなる”という状況が生まれてくるはずです。反面、人の目が介在しなくなることで、利用しない人は、今よりもっと放っておかれる可能性が高まるように思います。自己責任だとか、個人の自由とか、そういう視点・考え方もありますが、大学は社会に出る前の人(ある意味、半人前の人)を育てる場です。便利である前に、まずは“おせっかい”であって欲しいし、それを踏まえたうえでのサービスやサポートの改善が望ましい。現在進行形のグータラ人間の私としては、切にそう思うのです。

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