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甘いものをやめて十日過ぎた話


甘いものをやめると味覚の変化がおきた。私はコーヒーがすきなのだが、コーヒーの刺激がダイレクトに脳に来るようになった。カフェインが効いているのがわかる。また、ハーブやスパイスなどもダイレクトに感じるようになった。
甘いものはクッションの役割もあるのかもしれない。よくも悪くも鈍くさせてくれるのかもしれない。これは体感にすぎないので、ソースなどはない。
同時期から筋トレを五分毎日続けるようにしているので、それの影響もあるかもしれない。

順調に甘いものを断てているわけではなく、家族のお土産を断りきれず、一度だけシュークリームをたべた。
美味しかったけど、甘さの刺激物だなというかんじがして、その場では美味しいけど、もやもやが残った。
甘いものって人からの気持ちで出来ていて、気持ちを渡すツールで、自分は食べたくなかったのに、食べ続けていたということ、食べなければいけなかったことに気づいた。前に呪いだとかいたけど、思った以上に甘いものを食べないことは、家族から自分を切り離し、自分を取り戻すことらしい。受けとりたくない気持ちは受けとりたくないのだ。

そんなわけで、甘いものが食べたいとか食べたくないより、ちょっとした拒否反応のようなものが生まれ、じんわり嫌な気持ちを甘いものに対して抱くようになった、自分の気持ちが解消するまで食べないようにしようと思っているし、それでもなお食べたかったら食べたらいいなと思う。

甘いものをやめる前に十年以上続けたTwitterをやめて、複数かけもちしていたソシャゲとの付き合いをやめた。こちらも八年くらいだ。
その事実があったので、甘いものもやめられるのではと思い、甘いものをやめようと思ったのだが、予想外ではあるが、自分の長年の鬱屈に気づけたのはよかったなと思う。

ぼんやりとした私はあんまり自分の不快に気づけず、昨日さらにやめようと思って決断したのは「創作すること」だった。なぜかずっとオタクは、創作しなければいけないと、思い続けていた。けれど、少しの期間でもいいから手放すことにした。

ほんとにやめるのか、と今日の自分が言う。ちょっとだけだ、と昨日からの自分が言う。

何かをやめることは、何かをやり続けていた自分を否定することのようだ。
今までの自分が何故そんなことをする、と問いかける。

楽になりたいのだ。
ただ、居心地のいい自分になりたい。

しばらく様子を見て、考えて行きたい。どうすればいいのか、過去の自分も今の自分も、大事な自分だからだ。

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