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電波鉄道の夜 9

【承前】

「別に自分の目や鼻や耳、でなくてもよいのでしょう?」
 店員さんを見つめて問いかける。
「もちろんですよ」
 店員さんは仮面のような笑顔のまま頷く。
「商売の基本は等価交換。それがどうやって手に入れたものであろうとも売買の場では同じものは同じだけの価値があります」
 耳の後ろに祝詞の気配を感じながら、店員さんの言葉に耳を傾ける。思いつきの妥当さと実現可能性を考える。不可能ではないように思える。だから、僕は店員さんの目を見て言う。
「心当たりがあります。少しだけ、待っていてもらえますか?」
「ええ、それは構いませんが……」
 店員さんはショーケースに目を落とす。
「良い品物ですから、他に買い手が見つかるかもしれませんよ」
「できるだけ急ぎますんで」
 おまちしております、と丁寧なお辞儀をする店員さんを背に小走りに駆け出す。前の車両に。狭い商店と商店の間を抜けて、地面に広げられた露天をまたぎ越して。
 走りながら、思い出す。
 車掌さんと対峙したときの緊張感。戦いを挑むと考えることさえ浮かばないほどの威圧感。けれども
「無理ではない」
 自分に言い聞かせるように呟く。
 頭の中で蘇るのはさっきの女の子一撃。倒れ伏せる車掌さんの姿。
 車掌さんも生き物だ。殴れば倒せる。命までは奪えないまでも、一瞬でも意識を刈り取れればよい。あの引きずっていたお客さんたちをくすねるのには十分な時間が稼げるだろう。
 車両と扉をくぐる。市場の混沌とした喧騒は消え去る。痛いような静寂が耳に突き刺さる。「こんつぁっきうぅれまぁすんで」静寂の中、祝詞が聞こえる。それからずりずりと物を引きずる音。聞こえるか聞こえないか、まだずいぶん遠い。
 落ちていた瓶を拾い、布を被り、息をひそめる。 
 お客さんたちがみんな市場に言ってしまったこの三等客席はガランとしていて、節約のためだろうか、電気も消えていて薄暗い。
 アンブッシュにはうってつけの暗さ。

【つづく】
 

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