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電波鉄道の夜 98

【承前】

「ああ、じゃあきっとそうなんだろうさ」
 女性はそう言ってまた黙り込む。眉間には深い皺が寄っていて、暖炉の光の中で暗い影を落としている。
「言っとくけどよ」
 頭を掻きながら女性が口を開く。きまり悪そうに藪にらみで暖炉を睨んだまま。何がそんなに言いにくいことなのだろう。不思議に思いながら耳を傾ける。
「お前のせいじゃないからな」
 発せられた言葉はよくわからない言葉だった。首を傾げて問い返す。
「なんのことですか?」
「だからさ」
 少し苛々した調子で女性は続ける。
「さっきのあいつ、殺すことになったのは、別に、お前は全然悪くないってこと」
「別に、気にしてはいないですよ」
 本心からの言葉。けれども女性はそうとは思わなかったようだった。とうとうと言葉を続ける。
「いいんだよ。強がらなくて。知り合いだったんだろ? そんな命を自分の手で奪うことになんかなってしまって」
 女性は深いため息をついた。目をつむり、瞼をこする。立ち上がり、僕の傍らにゆっくりと歩いてくる。
「つらいよな」
 ぽんと、肩に手が置かれた。重たくて暖かな感触が肩にのしかかる。
「それがやらないといけないといけないことだったとしてもな」
 わかるよ、と語り掛ける言葉はとてもやさしい口調。言っている言葉の意味は全く分からないけれども。
「あなたも、やったことがあるんですか?」
 だから、ただわかることを聞いてみる。この女性が聞いてほしいと思っているだろうことを。見上げるようにして振り返り、女性の顔を下からのぞき込む。
 女性は目を見開いてから、逸らした。その目にちらりと見えたのは後悔の色のようだった。
「ああ、だから、わかるんだよ」
 逸らした目線の先を辿る。そこにあったのは古ぼけた救急箱だった。
 女性は棚に寄って、救急箱をそっと取り上げる。持ち上げた箱の後ろに大きな傷が見えた。深くて大きな傷。
 女性の厚くて傷だらけの手が箱の傷をいとおしむように撫でた。

【続く】

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