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3年ぶりにおばあちゃんに会った

私のおばあちゃんは、苦労人だと思う。
小さな化粧店を営む家に嫁ぎ、なかなか曲者のお姑さん(私のひいばあちゃん)と何十年も化粧店を切り盛りし、やっと落ち着いてきた頃、旦那さん(私のおじいちゃん)に60歳そこそこで先に逝かれてしまった。

おばあちゃんは強くて、その上気遣いのできる人で、文句も言わず、いつも淡々と生きる人だった。
私たち孫に会うといつも優しく、可愛がってくれていた。
小学生の頃、おばあちゃんと旅行に一緒に行った道で、おばあちゃんが途中で疲れてしまったことがあった。
おばあちゃんのペースに合わせなくていいように、私たちに「あんたらは先に行ってなさい」と言った。そういう強くて優しい人だった。
おばあちゃんのことを考えると、してもらったことばかりが出てくるから、何かしたくて、手紙を送ったりお花を贈ったり、会えない時も色々してたけど、何をしても足りない気がしていた。
もっと早く大人になって、色々話してみたかったなとも思う。
既におばあちゃんは私のことはわからなくなってしまっている。

そんなおばあちゃんと最後に会ったのは3年前、コロナが流行る前におばあちゃんの米寿のお祝いをした時だった。


3年ぶりだから少し緊張しながら施設の入り口でおばあちゃんを、母と父と弟と四人で待っていた。
車椅子に乗って、小さくなったおばあちゃんは現れた。
見た瞬間、少しギョッとした。目が座っていたからだ。
でも、会えた喜びと、座っている目から微かに出るおばあちゃんのオーラを感じて、私は思わずニコニコして、手を振った。
おばあちゃんはギョロっと目を動かし、私としっかり目を合わせてくれていた。
何にも喋らないんだけど、私のことを意思を持って見ている、ということだけしっかり伝わってきた。

一緒に会いにきていた母に、「おばあちゃんの外出はいつぶりか」と聞くと、私と三年前に会ってから3年間、コロナのせいでまともに外出ができてない、と教えてくれた。
さっきの座っていた目に合点がいった。
コロナのせいで、外出する機会がわたし自身も少し減った。家から外に出ない日が続くと、私でさえ少し気が滅入る思いがする。
それが3年も続くと考えただけで、クラクラする思いだった。
ただ、ご飯を食べて、おむつの交換をしてもらい、そして寝る毎日。難しいな。

とにかく、少しでも外の空気を吸ってほしい、そんな思いで今日は外出の予約をしていた。
元々は、桜を見に行けたらと思っていたが、まだ咲いていないようだったので、おばあちゃんがよく行っていた神社にみんなで行こう、という話になっていた。
父がおばあちゃんを抱き上げて車椅子から車に乗せる。

おばあちゃんに色々見て欲しくて、窓を開けて、「木蓮が咲いてる」とか「あれ、梅じゃない?」と声をかける。
何にも喋らないんだけど、ちゃんと指差す方向を見ながら、おばあちゃんは頷いていた。

母がふと、前回米寿の祝いをするために家に戻って、仏壇に手を合わせた時の話を始めた。当時からおばあちゃんは色々わからなくなっていたんだけれど、おばあちゃんは仏壇に「やっと退院できました」と報告していた、入院してると思ってたんだね、と。

そこで、ふと思いついて提案してみた。
「神社じゃなくて、お墓参りに行こう」
すぐに家族みんな賛成してくれた。
生前、おじいちゃんが高台にお墓を作ったために、お墓参りをするためには、車椅子で50m程度砂利の坂道を上る必要がある。
家族みんなそれが困難であることはわかっていたけれど、お墓参りに行った方がいい、という気持ちはみんな同じだった。
「砂利道を行けるかわからないけれど、とにかく行けるところまで行ってみよう」

弟がおばあちゃんを抱き抱えて車から車椅子に移す。
少し寒かったので、父が上着をおばあちゃんの膝にかけると、「きるー」と消え入りそうな声で話す。
今日初めて、おばあちゃんの意思を声で聞いた。
嬉しくなって服を着るのを手伝う。父のものなので少し袖が長い。
車で目を合わせられなかったので、対面できたことが嬉しくて私がニコニコしながら手を振るとおばあちゃんもニコニコしながら、両手で長い袖を揺らしてくれた。嬉しい。

さて、第一関門。5mほどの急なアスファルトの下り坂。四人がかりでスピードが出ないように車椅子を押さえながら、車椅子からおばあちゃんが落ちないように押さえながら、バックする車椅子に少し怖がるおばあちゃんの手を握りながらゆっくり下がっていく。怖いのか、おばあちゃんはぎゅっと私の手を握っていた。
第二関門、30mほどの緩やかな砂利の坂道だ。車椅子、動くだろうか。
幸い、砂利が細かくて車椅子は押せそうだ。ただ、やはり揺れるからゆっくりゆっくり押しながら、おばあちゃんが前のめりになって落ちないように車椅子に押さえながら、そして怖がるおばあちゃんの手を握りながら上っていく。ゆっくりだがなんとか到達。
最後の関門である急な上り坂もなんとか登り切り、おじいちゃんとひいばあちゃんが待つお墓に到着。
お墓にしっかりお参りするためには、石段を一段上る必要があったけれど、段が50cmほどあったから、車椅子ごと上げるのは難しそうで、石段の下からお参りをすることに。
みんなで手を合わせていると、なんとおばあちゃんが足をついて立とうとし始めたのだ。
みんなびっくりしながらも、これまた四人がかりでおばあちゃんを支えて、石段を登れるように補助をする。
おばあちゃんも、ちゃんと石段をあがろうと自分で足を上げようとしている。

石段に上り、ずっと立ってはいられないから、みんなで支えながらお参りをする。
ふとおばあちゃんの顔を見ると、涙を一粒、流していた。
いろんな思いが込み上げながら、とにかく、一緒に来れてよかったなと思った。
帰りもまた同じ砂利道を戻る。
車に戻り、母に「おばあちゃん、好きな曲とかないの?」と聞くと「由紀さおりかなあ」というから、由紀さおりのトルコ行進曲をかける。
弟は、「これはギャグも入ってるの?」と真剣に父に尋ねていた。「いや、ギャグじゃないよ、コンサートでもこれをやる」「なんか変だね。」というから、私が弟に「あんたの好きな曲も違う世代には、そう思われてんだよ」と返す。

まあそれは置いておいて、由紀さおりを流すと、おばあちゃんは手を上下に振り始めた。楽しそうだからうちわを渡すと、うちわを振って楽しそうにしていた。
「おばあちゃんって、音楽好きなの?」と聞くと、母が「合唱団入りたいって言ってたくらいだからね」と。時代的に、きっと入れなかったんだろうなと思ったり、施設で好きな音楽聞いたりできてるんだろうか、と考えたりした。

その後行った神社でも、階段があっても自分で立って歩こうとするから驚いた。長すぎて無理だろうとみんな思いつつ、歩けるところまでみんなで支えた。

おばあちゃんをまた車に乗せると、そろそろ車に慣れてきたのか、椅子の設置を手伝おうとしたり、なかなか母が車に乗ってもドアを閉めようとしないからドアを閉めようと手を伸ばしたりしていた。
なんだか昔のおばあちゃんみたいで、とっても嬉しかった。

時間はあっという間に過ぎて、施設に戻る時間になった。
寂しい、もう少し一緒にいたいなと思った。
おばあちゃんともっと一緒にいたかった。
おばあちゃんのやりたいこと、一緒にやりたかった。
自分がもっとおばあちゃんの近くに住んでたらできるのかな、とか考えた。
おばあちゃんともっと一緒にいたかったなあ。
久しぶりだな、こんな気持ちになるの。


私に何も話してくれないけれど、目を合わせて手を振ってる時は、確実に私の知ってるおばあちゃんで、気持ちだけは通じ合えている気がした。
苦労した分、少しだけでも楽しく生きてほしい、とやはり思ってしまう。
どうせ何もできないし、自分の人生だって大事だから私はまた東京に戻るのだけれど。
でも、また近いうちに必ず会いに行きたい。
おばあちゃん。

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