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プラトン『メノン』について

 最近自分は、YouTubeでプラトンの著作が解説されている動画をよく見るのだが、この『メノン』は解説動画が少なく、各動画の再生数もあまり多くない。もしかしたら、プラトンの著作の中ではそこまでメジャーなものではないのかなという印象をもっている。

 そんな本書を自分がなぜ手に取ったかというと、本書が「徳」をテーマにしたものだったからだ。

 なぜ自分が「徳」に関心があるかというと、自分が勤務している小学校で道徳教育の研究会がもたれることになり、学校をあげて道徳教育の研究をしているのだが、そこで自分は道徳教育に対する疑問がわんさか出てきたからだ。最も根本的な疑問としては、「道徳なんて教えられるのか?」ということだ。

 それについて、結論から言うとソクラテスは「自分は徳の教師に出会ったことがない」「教師がいなければ弟子もいない」「ゆえに徳は教えられない」とした。俺もそう思う。道徳ってのは教えるものではないと思う。

 しかし、現代の日本の学校で行われてる道徳教育を全否定するのは違うと思う。例えば、本書には「想起説」というのが出てくる。霊魂は不滅であり、それゆえ人は様々な知識について生まれ変わる前にすでに知っているのであり、現世ではそれを思い出して学習しているという説だ。日本の道徳の教科書ってのは説話みたいなのがたくさん載っていて、それをもとに授業をするのだが、確かにこれは子どもの魂にもともと備わっている道徳的価値を引き出す(≒想起させる)効果があると捉えられなくもない気はする。

 まあ、想起説自体も、じゃあ前世の自分が理解力の低い人で全然分かってなかったらどうやねんとか思うし、道徳教育に対する自分の疑念みたいなものもいまいち解消されない。同僚をいじめるような劣悪な魂をもった教員も道徳の授業をやるわけやし。ニーチェが道徳の教科書を読んだら、「全て畜群道徳である」とか言って破り捨てるんちゃうかとも思う。

 そして、本書とは関係ないが、研究大会があるからって言って余計な仕事が増えるから負担感が半端ない。こういう文化を全てやめちまえとまでは言わんが、もうちょっと無理なくやれんもんかと思う。働き方は全然改革されないし、多分俺らはずっと定額働かせ放題である。

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