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熱を出した子供の涙に勝るもの

世のワーママさんは、子どもの保育園を休ませるかどうか、どういう基準で決めているのだろう。

その都市によって方針は異なると思うけれど、私の地域では、発熱したら解熱後24時間たたないと登園できない。

つまり、基本的には発熱して早退したら翌日は強制的に休みである。

あるあるなのかもしれないけれど、半年でおそらく30日以上は有休を消化した。あと半年で10日も残っておらず、毎日ヒヤヒヤしている。
(前年の繰越があったのでなんとか助かっている状況)

幸いにも、どちらの両親も近くに住んでおり、私たち夫婦も在宅勤務に切り替えができるような仕事だ。だから、一般的には、きっと働きやすい家庭の部類に入るのだろう。

とは言うものの。

夫にも休んではもらうが、どうしても抜けられない仕事があったり、じいじばあばも呼ぶが、予定が合わないこともあったり。

極め付けは、子どもはママ!ママ!と言ってすがる。ただでさえ具合悪くて心細い。ママにひっついていたいのだ。


朝、なんとなく、いつもよりだるいのかもなぁ、と様子を見て感じる時がある。

そういう時、熱を測るとすごーく微妙な微熱なのだ。これから上がるやつか、ただ眠くてホカホカしているのか。判断が難しい。

その日は、仕事がなんだか行き詰まっていて、あと有休がなくなる恐怖に怯えていて、そのままま保育園に行かせてしまった。

そして、案の定、2時間後。私のスマホのバイブがなる。

そうだよなぁ、そうなるよなぁ。

そう思いながら、パリッと晴れた昼前、ダッシュで電車に飛び乗る。

その日も、午後から親を呼んで在宅勤務に切り替えた。

だけど、今回はどうしても熱が下がらず、機嫌もぐずぐず。違う部屋に移動しても、泣いて追いかけてくる。親も、ごめんねと申し訳なさそうな顔。

結局、その日は全く仕事にならず。

勤務が終わったら小児科に連れていって、たくさん一緒にいてあげるようにした。

抱っこするといつも以上にほかほかしていて、目もとろーんとしていて。でも、昼間泣き叫んでいた時よりも、幾分ホッとした表情をしていた。

あぁ、ごめんね。

私が優先したことって、熱を出した子どもの涙に勝るほど、大切なことだった?本心からの気持ちだった?

働くことしか考えてなくて、なんとか勤務を続けようとする姿勢をとって、会社での居場所を守ろうとしていた。

けど、どう考えたって、その日はそのまま休んで、たくさん抱っこしてたくさん添い寝してあげるべきだった。

そうしたらきっと、安心して心身ともに早く回復したかもしれないし、結果的に翌日は親に子守お願いして普通に勤務できたかもしれない。
その方が、誰にも必要以上の迷惑をかけずに済んだかもしれない。

そんなこと言ったって、結果論でしかないのだけれど。

休む時、少し迷ってしまった。
この先まだ休む可能性あるのに、ここで残りの有休を使ってしまっていいのか。

みんなそんなこと言っても、もしかしたら誰かに預けて仕事をしているかもしれないし、それがあるべきワーママの姿勢だって言われたらそうなのかもしれない。

だけど、この日は、「○○すべき」ではなくて「○○したい」で決めることにした。
私はどうしたい?

「子育ても仕事の段取りの悪さも、自分の都合だから、ちゃんと手配して勤務すべき」
ではなく
「明日一緒にいて安心させてあげたい」
その気持ちで、休むことを選んだ。


うまく言えないのだけれど、子育てって、こういう選択の連続なのかもしれない。
いや、人生そのものがそうなのかもしれないけれど。

子どもとの関係をどうありたいか
ということと
私が社会でどうありたいか
を天秤にかけてはいけないと思った。

複雑に絡み合っていて、影響しあっているかもしれないけれど、本来は別の問題、別の欲求なのだから。


その日、私は1日子どもと一緒にいた。
心なしか、自分のペースで遊べてたし、具合悪いなりにたっぷり睡眠も取れていた。
これでよかった、と思った。

そして、寝静まった夜。
ノートを開いて、仕事に対する自分の思いとか、目を背けている問題、自分の働き方の直したいところ、書き出してみた。

どうしても、私は子育てしているから、と言い訳したくないと思いながら心の中で言い訳して目を背けていたことを、直視した。
家族で笑顔でいたいなら、仕事でも大変なりに笑顔でいたいなら、変えないところと変えることと向き合うことだって必要だ。

今はまだ、そうやって何度か心の声を文字にしただけで、行動も現実も変わっていない。

でもきっとこうやって葛藤を繰り返して、
「子育ても仕事も私自身の人生も、自分の意思でやりたいようにやっている」
と、堂々と顔を上げられる日が来たらいいなと思う。

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