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おばあちゃんに優しくなれない

祖母の家は、実家から歩いて行ける範囲にある。

だから、小さい時からよく遊びに行った。

風邪をひいた時はご飯を買ってきてお見舞いに来てくれた。

大学生になって日中時間ができた時も、
散歩がてら寄っていった。

母と女3人で毎年温泉旅行も行っていた。

ご飯もよく食べに行った。

祖母は元気だった。
肌艶も私よりいいし舌も肥えててしゃれたものを食べる。
自分のこともある程度できる。

数年前、身体を悪くして在宅介護になるまでは。


在宅介護になってから、
母が半ば住み込みでお世話をしている。

その間、私は妊娠出産して母になった。
娘が産まれて、これで女4代になったねと喜んだ。

祖母も母も私も、
自分のライフステージが変わった。

変わったことで、互いの関係性が少しずつ変わった。
変わってしまった。

祖母は、自宅とデイサービスの往復の日々になった。
耳も遠くなって、ぼーっとすることも多くなった。

娘を連れて遊びに行くと、すごく喜んでくれるけど、
やはりいつも覇気がない気がする。

母は、数十年ぶりの自分の母親との生活に、
少し疲れてしまっている。

どうしても、離れていた時間の分、
生活スタイルや価値観の変化で合わない。
自宅との往復生活で身体も休まらない。

私は、自分が母親になってやっと、
母のしてきてくれたことのありがたさを、
真の意味で感じている。

今まではどちらかというと祖母が大好きだった。
今は母親の味方でいたいという気持ちが大きい。

子供は何歳になっても、
自分の母親は別格の存在なのだろう。

会うと、なかなか吐き出せない苦労を、
母は私に話してくる。

私は聞いてあげたいから聞く。
味方でいたいから全肯定する。

そして聞いてて、祖母にイライラしてしまう。

お母さん、もっと自分を大事にしなよ。
おばあちゃんそれはわがまますぎるよ。
お母さんはお母さんの人生があるんだから。

そう言って、母を肯定し、祖母を否定する。


そうして母と別れて1人になったあと、
少し落ち込んでしまう。

あんなに好きだったおばあちゃんのこと、
なんでこんな否定してしまうのだろう。

多分辛かったのだ。
数年前まであんなに笑って元気だったのに、
身体は縮こまり、背中は淋しく、
ぼーっとして、あまり笑わなくなった祖母を見るのが。

人間は少しずつ死に向かう。残念ながら。
そこに近づいていく祖母の気持ちを考えたら、
好きにさせてあげたい。

だけど、同時に母の人生もある。

家族の家事を一手に担い子育てし、
元気だった頃も自分の親の面倒を見て、
他人のために献身的に生きてきた母に、
もっと自由に生きてほしい。

そして、想像する。
自分の母親の面倒を見る辛さ。
否応にも、死に向かっていくしかない母親を見る辛さ。

いつか、遠い未来の自分は、
同じ立場になったら何を思うんだろう。


私は、おばあちゃんに優しくなれない。

母を寂しい顔にさせる今のおばあちゃんに
優しくなれない。

だけど、親子の関係にいない、
孫だからこそできることがきっとある。
そう思いたい。

先日、母からLINEがきた。
娘のためのおもちゃを手作りしていたら、
隣で祖母も何か作り始めたんだ、と。
刺激になったんだろうか、と。

文面は普通だったが、少し嬉しかったんじゃないかな。

ひ孫にあたる娘を連れて遊びに行きつつ、
今日も私は、
何ができるのかを、考えている。

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