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素直になれない大人の強がりをひとつ聞いてくれ

人間、誰しも最初はただただシンプルな感情の塊だった。

ということを、乳児を育てていると思う。

1歳を過ぎ、何となく意思疎通もできるようになってきたと感じる今日この頃。
今までおとなしい子なのかな?と思っていた我が子の、感情が爆発し始めた。

楽しい時面白い時にはゲラゲラ笑う。
パパママが恋しくなったら、走ってぎゅーしにくる。

というのは可愛いもので。
問題は気に食わない時だ。

少しでも嫌なことがあるとイヤダア!と抵抗する。
叱られてやりたいことを中断されるとマジギレして大泣きする。
抱っこして連れてこうとしても身体を全力でよじって飛びおろうとする。

えっ、イヤイヤ期前でこれでしょ?
まじか・・・

我が子の成長がとてもとても嬉しい反面、
疲れたと感じたり叱ったりする場面が増えて複雑な親心。

1歳児にマジギレしてしまった日には、
寝顔を見て、ごめんね、と呟くのであった。

ただ、思い返すと、自分もきっとそういう時期があったはずなのだ。

思春期ぐらいまでは、割と自分の本心というものに忠実だった気がするが、
10代を超え、交友関係が広がり、社会に出て行くにつれて、
心が「大人」になっていった。

必ずしも、自分の本心そのままで動く時が得策でない時がある。
大人になるということは、自分に社会的な立場がついてくるということ。
社会の中で生き、関わり、繋がって行く為には、そのためにいい意味で気持ちを「ごまかす」ことも必要なのだ。

とはいえ、それも寂しいもんなのよね。

この1年で、自分の気持ちを「書く」ことで整理し、見つめ、向き合う場面が増えた。
手を動かして書き出すと、
あぁ、自分こんなこと思ってたんだ、こういうことも考えてたんだ、こういうことに傷ついて、こういうことに幸せを感じるんだ、
そんなことに気づいていった。

大人が、赤子のように振る舞うのはいかがなものかというところがあるが、
それでも、自分のシンプルな感情に従って振る舞うことだって、
生きていく、幸せになっていく、その為にはきっと必要。

大人になり、親になり、ケアする人大切にしたい人ができていくと、
自分のことを忘れがちになるけれど。

目の前の我が子のように、自分の心をちゃんと表現して伝えることを、
諦めずにいたい。
そんなことをぼんやり思ったのでした。

タイトルは、かさぶたの歌詞のもじりです。
ガッシュベル、毎週見てたなぁ〜。

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