ニュースの向こうの「誰か」の人生を想う
ここ数年、ニュースを見聞きして、以前よりも心がざわつくことが多くなった。
きっかけは、育休。
普段ニュースを見ない時間帯にもテレビを見るようになり、世の中のニュースに触れる時間が多くなった。
その中でも、どうしてもネガティブなニュースには引き寄せられてしまう。
ふと、なんでこんなにもざわざわするようになったのだろうかと、考えた時があった。
自分なりの結論としては、ニュースの向こうにいる人々の、人生を想像する切り口が増えたから、だった。
母になってから、命や生死について考えることが多くなった。
突然巻き込まれた交通事故。
幼児のバス置き去り。
海や川での行方不明。
他人に殺されてしまった人。
海外の臓器移植で子供が助かった話。
海の向こうの戦争。
もし、自分やその家族が、当事者だったら?
独身の時、夫婦だけの時は、ニュースの出来事はどこか違う世界の出来事だと思ってしまっていた。
自分の知り得ないところで回っている運命。
だけど、母になり、子供や家族の人生に一定の責任やかけがえのなさを感じるようになってから、他人事とは思えなくなった。
もし、私が明日交通事故や事件で死んだら、娘はどうなる?
もし、明日娘が元気に帰ってこなかったら?
もし、朝見送った夫とそのまま会えなくなったら?
もし、じいじばあばか火事や災害でさよならをしなくてはならなくなったら?
…
きっと、それぞれのニュースの向こうにも、当事者や家族、友人知人がいて、いろんな形で心がざわめいてるに違いない。
その気持ちを勝手に想像して、ざわざわしてしまっているだけなのだ。勝手に。
だけど、どうも他人事には思えない。
亡くなった人、失ったものは、戻って来ない。
もし、自分が、周りが、その状況に生きることになったら、どうなる?
最近、心が疲れてしまっていたのは、こういう未知の恐怖に怯えてたからなのかもしれないと思った。
ニュースの向こうの人には会うことはないし、きっと何もできない。
だけど、そこから感じたことで、自分にできることや気をつけることで、私や家族や大切な人をもっと大切にできるかもしれない。
言葉も、声も、何もかも、向こう側にそれを受ける人がいる。
そんな当たり前のことを、ただただ考えた。
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