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自死について思い巡らす。「歴史は小さなブランコで 宇宙は小さな水飲み場 くたばる喜びとっておけ」

今朝、悲しいニュースがありました。

みなさんいろいろ感じ、それぞれ受け取って、
考えたかと思います。

ネットニュースを読んでいたら、
じっと静止してしまったコメントのやりとりがありましたので、
ここにメモとして残して置きたいと思います。
(抜粋編集しました)

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太宰治『斜陽』の一節。
「人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。」
自殺する勇気がなくて生きている部分がある。今後苦しむことがないという点では彼の選んだ道には救いがあった。


自死する人は死んだら楽になる、もう苦しむことはないというほうに「賭ける」。賭けだから当たることも外れることもある。
残された私たちにできるのは、その「賭け」が当たってくれていることを祈ること、そして、そういう「賭け」に追い込まれるような人が一人でも少ない社会、生き心地のいい社会を作る努力を続けていくこと。


何か、誰かをきっかけに踏み留まり、人として再び幸せを実感できる日が来ることが一番の希望。
死を選ぶほどの精神状態は壮絶で、決して穏やかなものではない。
「死ぬ勇気がない」のは幸いまだそこまで精神的に堕ちていないということ。


仏は、生命は永遠と説いている。
輪廻転生。
死んで終わりではないということ。
また生まれてきたら、苦しみは来世に持ち越されるだけ。来世でまた苦しむということ。


自殺なんて苦しそうで痛そうで恐ろしいからしたくてもできないのが通常の考え。
死ぬよりも生きることの方が辛く怖かったんだとしたら無理やり生きろと言えない。


本人にとって自殺は唯一の『希望』である。


命を与え育たてくださった自然界、親祖先、社会に対しての「最大の裏切り行為」


自殺する勇気がないのでは無く、どうにかこうにか生きる道を選ぶ勇気があるということ。


親の立場からすると
惨めでもいいから生きていて欲しい。

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私もどちらかと言うと、自死は人それぞれの自由だと思っている節があります。

それでもやっぱり誰かの自死の知らせはとても悲しくなります。

近しい人の心中を察すると胸が痛むばかりです。
「もっと何かしてあげられたはずだ」とずっと思い続けるのだと思います。
この自責の念を救う手立てはあるのでしょうか…。
わかりません。



御冥福をお祈りしたいと思います。



森山直太朗

「生きてることが辛いなら」




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