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Episode 195 それはきっと両方です。

政府広報が発達障害は個性であると言うような発言をしたことについてネットで話題になっています。
ネット上の発言は発達障害を「個性」とすることについて否定的なものが多いようですが、私は個性でもあるということは間違いないだろうと言う意見です。

問題の政府広報とされる音源は15分程度のラジオの情報番組でした。
「発達障害」と言う言葉程度しか知らないパーソナリティに、最初の定義からかいつまんでお話しするといった内容です。
私は「社会の認識はこの程度」という理解の下で、時間枠で精いっぱいの説明をしようとした発言だったんだろうな…と思っています。
それが私の正直な感想です。

恐らく…発達障害は「個性」として切り捨てられるような感じが、今まで発達障害で苦しんできた方々の気持ちに触れるのでしょう。
でも逆に、私は発達障害を「障害」と分類されることに対しての抵抗感があるのです。

私はASDという発達障害を持って生まれてきましたが、発達障害に関係なく左利きという個性によって、幼いころはずいぶん苦しみました。
ハサミが上手く使えない…当然です、ハサミは基本的に右手用に出来ているのです。
ただでさえ、まだ手先が上手に使えない幼稚園児ぐらいの子どもが、左手で右手用のハサミを使うなんて至難の業なのですよ。
でも、左利きを障害者と呼ぶ人はいないですよね…それは個性。
やがて「どうやったら左手でハサミを使えるか」をノウハウとして吸収するのです。
私はそうやって、日常の難題をクリアしてきたと思っています。

心配するのは、マジョリティはマイノリティの気持ちを理解できないことです。
歯がこぼれたボロボロのハサミが事務所にあって「こんなハサミじゃ切れないから新調してください」ってお願いしたら、左手用の咬み合わせが逆になっているハサミを渡されたことがあります。
違う違う、そんなことを言っているんじゃない…。
左手用のハサミなんか事務所にあっても、誰も使わないじゃないですか。
傷んだハサミは使いにくいから新しくしてって言っているだけ、ある程度の年齢になれば、左利きの人が右手用のハサミを使えるのは普通のことですって。
そんな的外れなフォローなんて返って迷惑…普通に出来ることは普通にしてもらった方がありがたいのです。
線を引くとこんなことが増えそうです。

私の考え方では、発達障害は個性です。
発達障害に限らず、知的障害であっても精神障害であっても身体障害であっても、持って生まれた、または途中でなってしまった個性です。
病気ではない以上、完治しないのなら、それは辛いことかもしれませんが、一度受け入れなければなりません。
その上で、その個性で社会生活を送ることに困難がある部分が障害です。
その障害にこそ支援が必要なのです。

あのラジオ番組の短い時間で何を感じ取るのかは人それぞれでしょう。
ただ、あの番組だけで双方の意見を推し量るべきではないと思います。

発達障害は個性なのか障害なのかと質問されれば、その両方だと答えます。
個性であり、社会的に困難が発生する部分が障害になる…と。
人それぞれに出来る部分とできない部分が違っていて、そもそもがスペクトラムで線引きが難しい問題でして、それを「線引きしなさい」っていわれてもね…。
私には個性で済ませられる部分が、あなたには障害ととらえてほしい部分なのかもしれない。
その逆に、あなたが個性ととらえてほしい部分が、私にとっては障害かもしれない。

マジョリティ側から押し付けるように「個性」だとか「障害」だとか言われて線引きされるから問題になるような気がします。

議論は入り口に立ったばかり。
建設的な話がされていくことを切に望むのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/3/28

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