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Episode 527 障害を隠せる社会です。

気が付けば、3月ももう終わりに近づいてきました。
3月1日に解禁された来年度大学卒業予定者の就職活動、今年は去年のような大混乱もなく、当たり前のようにリモートも駆使しながら粛々と進んでいるようです。
経済状況も含めて毎年のように環境が大きく変わり、それに合わせて「就活」スタイルも変化する…就職という人生を左右する「一大イベント」だというのに、傾向の掴みにくさは毎年恒例のことになりつつあって、社会人を目指す方の穏やかではない気持ちは相当なものだろうと思います。
私が「就活」をしたのは1993年の新卒が対象だった、1992年のこと…当時は当然のことながらリモートなどあるワケもなく全て実地開催で、GW明けに企業説明会解禁、夏休みが始まるまでに「勝負」が決まる短期決戦だったように記憶しています。

私が通った学校は地方の国立大学で、私が入学した1989年当時に県内にあった大学は母校のみ、地元率は非常に高く、しかもその就職先で最多だったのが地元の公務員という状況でした。
地元志向の強い学校だったということだけでなく、地方都市で共通の問題である「就職先が少ない」ということは否定できず、安定を求めれば公務員が定席だった…ということです。
そんな保守志向の強い学校ですから、民間企業を狙う人に対してのサポートなんてね、小指の先ほどもなかったのですよ。
特に私は教育学部でしたから、教職を目指さない私は異端児だったワケです。
今となっては教育学部でも教職に就かないのも普通になりつつありますし、大学の就職実績は入学志願者を得るための大事な指標ですからね、サポートが無いなんて「あり得ない」のでしょうけど。

ところで…就職実績って、何なのでしょかね。
週刊誌などで毎年のように人気企業ランキングとか特集が組まれ、どこぞの人気企業の内定者はどこの大学から何人とか、あの大学の就職内定率はかなり高いとか。
「それが悪い」とはとても言えないのですが、私の経験も含めて「その仕事をしたくてその会社を選んだのか?」という、仕事に就くことについての「極めて初歩的な部分」を疎かにすることで躓く方は多いのではないかな…と思うのです。

私は前回の記事で、日本的な(軍隊式)教育体制の裏には組織に対しての忠誠心が隠されていることを指摘しました。

自らが所属する組織に対して忠実な「臣民」であること。
その拠りどころとして、組織に対しての「社会的評価」が大きな役割を果たすワケです。
これは学生時代のみならず、就職先についても如何なく発揮され、企業のブランドが個人の肩書きに箔を付けること…も、残念ながら否定できないのです。
そういう私は…と言えば、学力レベルのみで高校を選び、共通一次(だったんですよ、私の年まで)の結果を見て安全圏の大学を選んだワケで、高校も大学も、どうしても行きたい学校ではなかったのですよね。
就職先も同じです。
私の就職した会社は、誰もが知る東証一部上場の量販大手…でも本当にその仕事がしたかったワケではなく、ネームバリューが欲しいだけだった…と、後で思い知ることになるのです。
もちろん、その会社に入って「良いこと」もあったのですよ。
だって、最愛のパートナーに出会ったのは、この会社で仕事をしていたから…ですからね。

社会人になるまでに「自分のやりたいことはなんだろう」という問いに答えられる人は少ないのが現実なのだろうと思います。
その理由は、「目上(先生)を敬う」という名の下に他人軸の評価が幅を利かせる、学校教育の「暗黙の了解」があるからだと思うのです。

私は以前、ASDの私はコミュニケーションの不具合から、自分自身の意思とあなたの意思の擦り合わせが難しい、だから社会的価値観を自分の意思の代わりにすることで社会適応しようとする傾向があった…と、自らの過去を指摘しました。
これがいわゆる「外モード」と呼ばれるヤツなのです。

つまり、学校教育の中で発見されないASDとは、平均以上の学力を持ち、学校の「名前」などの社会的評価を肩書きにして、先生と争わない真面目で従順な「理想的学生像」を外モードで演じることができる人…ということになります。
これが可能になる背景こそが、軍隊式教育体制ということだと、私は感じるのです。

ASDの私は、社会規範に基づく他者評価が基準の「横並び一列を求める日本の教育体制」を隠れ蓑にして、自らのASDに気が付かないまま社会人になり、会社が求めるまま搾取の先鋒指揮を執り、壊れたのです
もし仮に「あなたはどう考えるの?」を粘り強く指導する教育方針が基本ならば、少なくとも学生の内にASDの自覚ができていたのではないか…と思うのです。

もちろん、これは私が学生の頃の話ですから、発達障害についての認識があまりなかったことは否定できません…が、だからと言って劇的に変化したとも思えないのです。
発達障害者が発見されにくい環境ゆえに、診断・自覚後のケアも難しいのだろうと、私は思うのです。

ASDをはじめとする発達障害者のみならず、定型のみなさんにもぜひご覧いただきたい動画を紹介します。

「私はどう考えるのか」
それがとても大事なのだと思います。
それは定型も発達障害者も変わらないことなのだと、私は思うのです。

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