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Episode 309 棒グラフのイメージです。

障害者手帳ってあるじゃないですか。
あれって、取得する前と後で、ものすごく印象が違うんですよ。

一番「違う」と感じたのは、取る前は「取ったら障害者として扱われる」と感じていたこと、取った後は「取っても何も変わらない」という事実。
それは、私が障害者手帳を「仕事」や「税制上の優遇」などで使用していないから…なのですが、逆に言えば、それが手帳の現状であるということなのだと思うのです。

私が手帳を取得する前の感覚と言うのは、きっと定型者(健常者)を含んで多くの人が感じている感覚だと思います。
つまり、知的・身体・精神のいずれにおいても、手帳取得者は障害者であると証明される「ラインの向こう側の人」で、保護され支援されるべき人であるという認識です。
普通に社会生活をおくることが困難な人…それ故に支援の対象者として手帳を交付して、社会福祉の優遇を受けることが出来るようにするという発想です。
この具体的な方策は間違えていないのです…でも。
私は実際に手帳を取得して「保護され支援される部分があるよ」と認定されたにも関わらず、私は手帳取得を会社に公表せずクローズドで仕事をし、それ故に税金の障害者控除も受けない状況を選ばざるを得ないのです。

昨日のブログで、私は「ふつう」と「発達障害」の部分を併せ持つハイブリットな人間だと書きました。
全てにおいて障害者じゃない、「ふつう」に社会生活をおくることができる部分は数多くあって、「ふつう」以上に得意で出来る分野もあって、でも「ふつう」に届かない凹みには支援が必要で、だから障害者手帳は、その届かない部分をフォローするための仕組みなのだ…と。
この発想に基づいて考えると、障害者手帳を持つと言っても、普通ではないラインの向こう側の人だと一概に言えません。

でもね…世の中はこのように考えてくれないのです。
手帳を取得して感じるのは「あなたは障害者として生きるのですか?」という問いかけです。
会社に手帳を取得を公表すれば、支援というフォローを受けることが出来るでしょう。
税制上の優遇であったり、勤務上の優遇であったり…助けて欲しいことや理解して頂きたい部分はいくつもあります。
でも、それをすることで障害者という「線の向こう側の人」…という立場の足枷を、社内で付けることになってしまうのです。

棒グラフをイメージしてください。
世の中にはいくつもの指標があって、言葉が巧みだとか、運動ができるとか…成長の過程で、それぞれの分野の社会的な常識といわれる「ふつう」のラインに届くのが一般的だとして、どうしてもそれに届かない部分がある…これが私の言う「障害」。
そして、「ふつう」のラインまでのフォローが「支援」。
でも実際は、定型者・健常者と障害者をひとつのラインで切り分けてしまっているのが、今の障害者を取り巻く社会福祉の現状だと私は感じています。

私は障害者手帳を取得して「何も変わらない」と指摘しました。
そこにはふたつの意味があって、ひとつ目は障害者手帳を持っていようと持ってなかろうと、私個人は社会の「ふつう」を基準にした「できる部分」と「できない部分」があるという事実は変わらないということ。
ふたつ目は実際に用意された社会福祉の施策を使うと、二者択一を迫られるデメリットの部分が大きすぎて、欲しいと思う支援だけを受けられないという現実。
それでも障害者手帳を持っている理由は、何かあった時のための「保険」。

本当に必要なのは、定型者・健常者と呼ばれる社会の本流を作っている人たちが、障害者を別枠として切り分けることではなくて、障害者はちょっとフォローが必要な部分がある人と、理解することです。

定型者・健常者に、棒グラフのイメージを理解していただく啓発が必要だと私は感じるのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/7/20

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