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Episode 249 掴み取れない霧なのです。

私と結婚したパートナーが20年以上も「カサンドラ症候群」を感じながらも私と一緒に暮らしていたのは何故なのか…という素朴な疑問を持たれる方もいるでしょう。
簡単な話です。
お互いに相手を思いやり、相手を必要としていたからです。

私は、「カサンドラ症候群」は双方の愛情がある状態でしか成立しない感情だと思っています。
世間で言われる「ヒドイ夫(妻)」は、暴言を吐き、暴力を振い、自分の思い通りにならないことを力でねじ伏せようとする人だという傾向があるようです。
でもこれは「だから発達障害者」なのではなく、それとは関係ないモラハラやDVでしかないと私は思うのです。
ここに発達障害者や定型発達者という枠組みは存在しません。

もちろん感情の起伏の大きさや、思考や発想の偏りから発達障害者がモラハラやDVを引き起こす例は否定できません。
でも、それはあくまでもモラハラやDVであって、カサンドラ症候群ではないと思うのです。

私の思うカサンドラ症候群とは、「暖簾に腕押し」「糠に釘」ということわざで説明できます。
パートナーが私に対して必死のアピールをしても、私は形があるもの以外に価値を見出すことが苦手です。
分かってもらえない喪失感が寂しさを生む…これがカサンドラ症候群です。
逆の場合もあります。
形あるものでしか愛を伝えられない私は、誕生日やクリスマスのプレゼントは欠かせません
一生懸命考えて、最高のプレゼントを用意したつもり…なんですけどね。
パートナーから見て「いまそれ?」みたいなものは、数限りなくあったでしょうね。
気持ちは分かる、でも…それじゃない。

私はパートナーにとって、暖簾や糠のようにすり抜けてしまう存在だったのでしょう。
そうかと思えばひとつのことに過集中してしまってその他のことがお留守だったり、今このタイミングで闘牛を仕掛けてくる?…みたいなことは日常的にあったような気がします。

上手くかみ合わない、でも愛されている実感はある。
必死に愛を提供するあなたは感じる…でも、私の気持ちはあなたをすり抜けてしまう。
霧を掴むみたいに。

そこには暴力はありません。
あなたを悲しませる要素はあっても、傷つける要素はありません。

掴み取りたい霧は、あなたの周りを漂っていて、あなたを包み込んでいます。
包み込んでいる霧の正体である私のココロは、包み込んでいるが故にあなたを愛している実感があるのです。

ある時、あなたの周りを包んでいた霧は、上昇気流に乗って雲になり、雨となって降り注ぎます。
私の愛でビショビショになったあなたは、ずぶ濡れになるという感覚で私のココロを具体的なものとして理解するのです。

きっとこんなことが繰り返されてあなたは私の愛を確認したのでしょう。

カサンドラ症候群とは、きっとこういうことだと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/5/21

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