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Episode 485 火の始末をするのです。

「郷里の家」の寝室のベッドの上で母は仰向けになって両手で顔を覆っている。
「どんな具合?」と話しかけたその受け答えはしっかりしている。
動けば目が回ってしまうようだが、動かすにジッとしている分には何ともないようだ…。
とりあえず、私がこのタイミングで母に対して出来ることは何もない…それよりも父だ。
8時半過ぎにはデイサービスのお迎えが来るから、それまでに朝食を食べさせれば何とかなる。
とりあえず、台所に行って朝食の支度をしなくては…。
台所にはポツリとそこだけ新しいIHクッキングレンジ。

「郷里の家」は政令指定都市とは名ばかりだと言うのに充分な「郊外の農家集落」の外れにあって、下水道が敷かれたのも私がこの街に来てからのことでした。
当然、都市ガスなんてあるワケもなく、プロパンの地域…最近の家なら光熱費のパフォーマンスを考えてオール電化という選択が順当なのかもしれませんが、両親がこの家を建てた頃はまだまだガスを引かない住宅が一般化していない時代だったのです。
更に父は建築土木系の仕事に長く携わり、ライフラインを電力に集中させることには慎重な立場だったワケでして。

この風向きが変わったのは、父の認知症の症状が進み、火の始末に不安が出てきたからでした。
「タバコは男の嗜み」だった頃の人です…「郷里の家」に移り住んでからもずっと吸い続けていたタバコの火の不始末で、コタツ掛けやら畳やらに焼け焦げが目立ちはじめたのです。

火を使うのが難しくなってきている…そう思わざるを得ないその状況で、父は次第にタバコを吸わなくなっていきます。
自分自身の認知機能が衰えていく…ということを、認知症を患う人は必ず何処かで自覚するのでしょう。
父の凄いところは、自分の意思で、自分がわかっているうちに最も身近な火の始末を自分でしたことでした。

その一方で、家でどうしても使わざるを得ない火器をどうするのか…という問題が残されます。
具体的に言えば暖房と給湯、それに調理用のレンジです。
地域柄、自宅の外回りに大型の灯油タンクを備えている家が多いのですが、「郷里の家」の暖房器具はガスストーブでした。
灯油の配達や買いに行ったり給油したりの手間を嫌ったのでしょう。
ずっと住んでいた公団団地の家は5階建ての4階…当時の団地にエレベーターなどなく、4階まで18Lも入ったポリ缶を上げる作業を何十年もしてきた両親には、各部屋に配置された「ガスコンセント」は、自宅自慢のひとつだったのでしょう。

火の始末について相談を受けた私は、直に火を使わない方法をアッサリと提案します。
なんてったって、得意ですからね…こういうのは。
状況を確認して最善と思われる暖房・給湯設備の変更プランを示すのです。
具体的には電子制御で湯張りも追い焚きも自動の給湯設備は現状のプロパン機器で問題ない、暖房器具はエアコンをメインにしてコタツを併用する、調理用のガスレンジはIHに変更する…ということです。
この先のランニングコストを考えればプロパンを完全に廃してエコキュートを導入した方が良い…でも、そこには大きな設備投資が必要で、暖房・給湯の総取替で100万円オーバーの費用をオール電化で割安になったとは言え、そのランニングコストのみで回収し切れるのかと言えばNoなワケでして、その辺りはハナから新規の新築住宅とは違うワケです。

一歩間違えれば火事になりかねないという事情が事情だけに、私の提案は反対意見もなく採用され、目に見える直火を屋内で扱うことはなくなりました…でも。
キチンと手入れされた状態でビニル袋に入れられたガスストーブは、倉庫の隅に置かれたまま処分されることはなかったのです。

父にとって、ガスは「豊かさの象徴」だったのかもしれません。
そして私は、その気持ちを汲むことなく「物理的な最善」を何事もなかったかのように提案したのかもしれません。

これをASD的な物理的・具体的な最善を冷静に選択する良い部分と見るか、冷たい部分と見るか…。
今となっては、父はその答えを話してくれないのです。


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