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Episode 616 面ではなくて体なのです。

絵画的な表現に「遠近法」という技法があります。
一言でいえば、三次元で奥行きのあるモノを、二次元である紙やキャンバスの上に「奥行きがあるように表現する」方法…ということですよね。
もちろん、遠近法で描かれた「絵」も二次元の作品ですから、角度を変えて見ても奥行きの表現が角度によって変わることはありません。
でも…視覚的感覚では、二次元空間でも擬似的に三次元を表現する方法は、意外と身近に存在するワケです。
では、それを「言語」という分野で可能なのか…というのか前回での問題提起だったワケです。

さてさて、前回の「言葉の平面性」という部分は「自閉を理解するには平面的な言葉だけではなく、三次元の『キューブ』と言う感覚が必要なんじゃない?」という発想に繋がるのですが、この言葉に反応して下さる方がいたのですよ。
先日対談させていただいた、あずささん(@41azusayumi)です。

Twitterの音声コミュニケーションツールである「スペース」を使ったあずささんとの対談は、6/5の午後のこと。
その対談は、前回記事の「自閉的な立方体」からスタートします。

そのハナシは、z軸に示した「自分の興味への正直さ」という点が「何故、自閉度を示す指標となるのか」を問うことになるのです。

ツイートの中にもある通り、「y軸側に対人関係の調整というものが含まれる」…というのが、いわゆる「心の理論」というヤツなのだと思います。
x軸側の伸びと比例してy軸側も自動的に伸びる、「心の理論」は獲得されて然るべきモノ…という二次元的な価値観で社会は成立し得る可能性があるワケです。
でも…実際のところは「あなたの気持ちを慮ることで、自分の興味を優先しすぎる行為を抑制しているのではないか」とも考えられるのです。
y軸側の「社会標準への適応力」に含まれる「対人関係の調整」をする力が、z軸側へ発生するベクトルを抑え込む力として働く…とすれば、心の理論を獲得することによって「二次元的な価値観」でも社会は成立することになる…ではないか?

するとy軸側にあるべき対人関係の調整がうまく機能しない状態が時として発生する、そのタイミングで自分の興味に引っ張られたら…。
二人称の関係性は消え、一人称の私だけが残る、ここに自分への正直さをセーブする意味は無いワケだね。
あなたへの配慮が自己興味をセーブするなら、自閉の本質はココ。

平面性というのは、言葉を中心にしたコミニケーションの中で「あなたと私が安全に意思疎通する」ために編み出された方法なのかもしれません。
本来、人間の本性としては「x軸とz軸で構成される平面」が基本なのかもしれません。
小さな子どもの衝動性などは、当にそう言うことなのだろうと思います。
それを「多くの人が円滑に生活する方法」としてz軸方向をコントロールして「x軸とy軸で構成される平面」という安全を手に入れた…それが社会性と言えなくもないのかもしれません。

その、y軸側に伸びるべき「社会性」の「心の理論」の発達が思わしくないASDの、z軸方向への平面が残った結果として見える「自閉の部分」というのが、「消える二人称」としてスペース対談で話題になるのです。

相手を慮る結果として生まれるハズの他者視点の弱さは、社会生活での不具合の元になりかねないワケで、それを形だけでも埋める方法をASDのあずささんや私は編み出すのです…それが「一人二役の人形劇」。

あずささんと私は、生まれも育ちも得意も不得意も性格も性別も全く違う、それ故に行動原理も実際に表に現れる行動自体も真逆だったりする…と言うことは、あずささんが書いたこのスペース対談の記事からも読み取ることができるワケです。
それなのに、その根底にあるスタート地点にまで行き着くと「自閉の部分の共通点」が見えるのです。
即ち、苦手な他者視点を「自分が理解できるルール」で置き換えようと試みる…ということです。
この時点で「あなたの気持ちを考えている」つもりで「私が思うあなたの気持ち」に置き換わる、既に「二人称のあなた」は消滅しているワケです。

つまり、「あなたがどのように考えているか」を予測して自分が社会的にはみ出していないように見せかける行為がそこにある…あなたが私の理解できるルールを外れて行動すると言うことは、私の思考をフリーズさせる危険性を持つと言うことです(このことはあずささんのnote記事に詳しく書かれています)。
先程の座標のハナシで言えば、x軸とz軸で構成される平面からy軸方向の社会性を打ち落とす…とでもいいましょうかね。

このスペース対談で得られた共通の認識は、自閉の原則の共通性と、目に見える自閉症状の多様性…と言うことでしょうか。
社会性の獲得の弱さの裏には「心の理論」の獲得の不十分さがあり、それを埋め合わせようと努力した結果としての行動がある、それを人によって違う方法で埋め合わせようとするのは、本人の資質や生活の中で得てきた知識や技能が違うからなのでしょう。

x軸z軸の平面の安定がASDで、x軸y軸の平面の安定が定型一般だとしたら、ASDをx軸y軸の平面で見ようとしても無理か発生するでしょう。
ASDと定型一般の比較をするなら、x軸y軸の平面上の言葉だけを使うのは危険かもしれない…と、このスペース対談で思ったのです。

対談にお付き合いいただいたあずささんには感謝申し上げます。
また一緒に楽しいお話ができれば…と、思っています。

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