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Episode 478 里が居場所とは限りません。

『おおかみこどもの雨と雪』の物語には、人間として生きることを選択する「雪」とは反対に、オオカミとして生きることを選択する雪の弟「雨」が登場します。
今度は「雨」について考えてみようと思います。

改めてこのツイを。

物語の中で、人間として必死に生きようとする「雪」とは対照的に、学校に行くことを嫌い、周囲と馴染もうとしない「雨」は、森の生態系に興味を持ち、山に自分の居場所を見つけて巣立っていくのです。

基本的に森は人間の住む場所ではありません…が、人間が生活するのに森は欠かせないのです。
私が住む県では、去年も今年もツキノワグマの市街地出没情報が毎日のようにマスコミで報道され、注意が呼び掛けられています。
異常気象か乱獲か汚染か…詳しい原因は良く分かりませんが、森の生態系が乱れているのかもしれません。
野生動物が安心して(という表現が正しいのか、わからないですが)生活できる山があって、その恵みを受けて里の人間の生活が成り立っている、そのサイクル(生態系)が乱れているのではないか…という危惧を私は感じています。
人間の生活と自然の生態系は大きな相互関係の中にある。
それが崩れてしまうことは、非常に危険なことです。

「雨」は、この生態系の一番上に立つ「頂点捕食者」として森の生態系を守る道を選ぶのです…なんてったって「ニホンオオカミ」ですからね。
当然のことながら、森の捕食者であるオオカミとしての「雨」は、人間の生活する里にはなかなか現れません…でも、人間の生活とは切っても切れない関係を保っているワケですよね。

私はASDを自覚してから、愛すべきパートナーとの生活をどのようにしたらよい方向に向かわせることができるのかを考えてきました。
その結果、私が進んできた方向性はこのnote記事に書き連ねてきたことです。
ひと言でいえば、「雪」として生活する道…ということです。
その理想形は「雪」の父である「おおかみおとこ」の彼

ただ、前回の記事でも書いたように、自分の中のオオカミを押し殺すには相当の努力が必要で、そこに気が付いてオオカミを内包する私のアイデンティティを得るにはさらに多くの経験が必要だったと感じます。
全てのASDに、私と同じ努力をしなさい…というのはどうなのだろう。

私は「雨」として生きることを選ぶASDの方がいらっしゃることを否定しません。
必ずしも人間が住む「里」が、全てのASDの居場所だと思っていないのです。
野生生物が住む「山」を居場所とし、里の人間と適正な距離を保ちながら良好な関係を築く…そんな生き方もアリだと思っているのです。

そのために重要なのは、ASDの自覚があること。
人間とオオカミの血を引き、人間である母親に「里」で育てられた「雨」は、自らの意思で「山」に居場所を見つけたワケです。
そしてもう一つ、山へ行く「雨」を、里に引き留めなかった母親「花」の偉大さを忘れることは出来ません。

「雨」と「雪」。
この姉弟が見つけた居場所は好対照です。
ただ共通する点は、自分の中に「オオカミ」を含む…を必死で考えた結果、ようやく見つけた居場所だったのだろうということ。

ASDの自覚があって、自分の中のASDを飲み込む決心がついた時、全員が私と同じように里の社会に身を置こうとする…ワケではないと私は思うのです。

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