Episode 687 私の納得が必要です。
前回投稿したnote記事の内容は、恐らく私が経験した自閉に絡む自己発見の中でも最大級のモノであると同時に、自らの自閉性を改めて感じて衝撃を受けたのです。
自らの自閉に気が付き、理解して、克服することよりも自閉と共に生きる懐柔を選ぶ道に変わりはないのですが、それにしても私自身の自閉理解には、まだまだ「隠し扉」がいっぱいあるのだろうと思ったのです。
まるで私自身が忍者屋敷のようだ…と。
さて…。
前回のnote記事は、長らく私が「他者視点」と思ってきたモノが「他者視点もとき」である可能性に気がついた…という書いている本人もその気付きの大きさに驚くような衝撃的なハナシだったのです。
この「あなたの私に対しての視点(働き掛け)」という一般的な「他者視点」の気付き(アンカーポイント)の理解が出来ず、独自の接点を使って社会との関係を保とうとする点に自閉者独自の「他者視点観」が生まれるワケです。
そう考えてみると、他者視点を持とうとすることで自他境界の緩さが発生してしまう理由の説明ができる様に思うのです。
私の場合、一般的な「他者視点」…私に向かうあなたからの視線(働き掛け)に気がつかない一方で、あなたと私が別の考えを持つ他者であることを「モノへの評価」をアンカーポイントにして理解したのです。
詳しくは、前回のnote記事「『気付き』はとても残酷です。」をご覧いただくとして…今回はこの気付きをちょっと深掘りしてみようと思うのですよね。
私の過去の記事を題材にして、自閉者(私)が作る「他者視点観と自他境界の緩さの関係性」の世界観を検証してみよう…と言うのが、今回の記事の話題です。
何故、独自の他者視点観を持つことが自他境界の緩さを作り出してしまうのか、それを上手く説明できないかしら…。
この「プレゼントは必須です。」という記事を書いたのは2018年11月のこと…。
noteの日付が2020年4月になっているのは、過去に利用していた某ブログから引越した関係でして、記事を書いた当時、私は48歳でした。
私のASD診断が出たのは44歳で、精神障害者保健福祉手帳を取得したのが47歳の時。
手帳を取得したものの、それだけで何かが変わるワケもなく、ブログを書くことが何かのキッカケにならないか…と思って身近なことから手当たり次第に記事にしていた頃に書いたものです。
あなたのことを思い、必死であなたの喜ぶ「モノ」を探すその姿は、このnoteではお馴染みの「カオナシ」のそれなのは言うまでもありません。
ただね、「千と千尋…」の物語の中でカオナシの好意は千に一蹴される一方で、実生活においてはカオナシの様にはならないことが多いのですよ。
例えば「プレゼントは必須です。」のハナシの様に、あなたの誕生日にあなたのために選んだ何かを、あなたは一蹴しますか?
あなたはきっと、その私の努力を慮り「ありがとう!」と言うでしょう。
そこに定型一般の他者視点と、モノをアンカーポイントにする私の様なタイプのASDに齟齬が発生するワケです。
定型(典型) のあなたは、私の行為を見て私の気持ちを理解するワケですね。
そのプレゼントが例え「ガッカリ」なモノであっても…です。
一方で私は「私が納得できるあなたの喜ぶモノ」を純粋に考えるのですよ。
たった一回のやり取りなら、それでも良いかも知れません…でも、このやり取りが延々と繰り返されると想像して下さい。
オカシイ…と感じるハズだと思います。
あなたは「定型一般の他者視点位置」から私の好意を私の行動から読み取るのであって、私が送ったモノを喜んでいるのではありません…もちろん、モノが気に入ったが当てはまることもあるでしょうけど。
一方の私は、あなたの喜びは「あなたが受け取ったモノ」への、私とあなたの価値の共有にアンカーポイントがあるワケですよね。
一般的な「他者視点」…私に向かうあなたからの視線(働き掛け)に気がつかないから、あなたの興味関心を引くために「褒めてもらえるモノ」に取り組むワケです。
埋め込んだ「褒められると嬉しいのです。」と言う記事は、私の「日本地図パズルを作る」という私の興味と周囲の反応の良さが一致する幼い頃の体験談なのですが、この類の「誰かに褒めて貰える、喜んでもらうこと」に必要なのは、私の興味をあなたに提示することによって成立するワケですよね。
それは日本地図パズルに限らず、お絵かきの作品だったり、テストの点数だったり…。
そこに他者からの働き掛けに対応出来ず、自らの「モノヘの働き掛け」を提示することで、あなたの視点を引きつける自閉視点の存在が見える…と、感じます。
だいぶ長くなってしまったので、今回はここまで。
コレとは逆に「ASDの私がモノを貰う立場になった時」はどうか…は、また次回にお話ししようと思います。
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