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Episode 488 気持ちを汲めていないのです。

「郷里の家」から両親の掛かりつけ医まで道なりに5kmほどだろうか。
郊外の農村集落から最寄りの開業医までの距離で「このくらい」は珍しいことではないのだが、目まいがして動けない母を連れて…となると、恐ろしく長い距離に感じる。
助手席に乗った母に気を使いながら、なるべく揺れないようにクルマを走らせる。
「頼むから、そんなに突っつかないでくれ。」
別に煽られているワケではないが、田舎道で私を先頭に5・6台も後続車を引っ張ると…ちょっと焦る。

「疲れが三半規管に来る」のは女性に多い…って私は勝手に思っている。
母も姉も、それとは血縁関係がない私のパートナーも義母も、「疲れると目が回る」という。
今回のSOSの前から、「目が回る」という不調を母から何回となく聞いている。
大丈夫、ちょっと疲れが溜まっただけだ…と、自分に言い聞かす。
それでもハンドルを握る手が、汗ばむ。

両親の「郷里の家」でのふたり暮らしでの心配事は、実は認知症の父の方がメインではありません。
父は認知症を患ってはいるものの、身体的には…80歳の年齢を考えれば健康な方で、体の自由が利かないことはないのです。
そりゃぁ…寄る年波の衰えはあって、薬の数もソコソコあるのは事実ですよ。
でも、自分で立って歩いて、ご飯も食べられるのです。
自分で出来る…というのは、高齢者介護にとって「極めて重要」なことなのです…でもね。

認知症を患う父が自分で動ける…というのは、ある意味で「歩き始めたばかりの子どもの危険」と同じです。
身の回りにあるものの危険度…ということです。

認知症を患う人と幼児の大きな違いは、多分ふたつ…ひとつ目は「当事者の体格」で、もうひとつは「できるようになっていく子どもと、できないことが増えていく認知症当事者のベクトルの向き」だと思います。
昨日できなかったことが今日出来るようになっていく幼児は、失敗を重ねながらも成功することが多くなっていき、やがて理解して出来るようになるワケですよ。
幼児を見守るにあたって「できることをさせる」のは基本で、失敗しても次に成功する方向を模索する手伝いをする…そうでしょう?
でも、認知症患者もまた「できることをさせる」のが基本であっても、それは成功を増やすのが目標ではなくて、失敗を増やさないことが目標になってしまうのです。
だから、「失敗してしまったこと」の心配事がその先で解消されることは無く、数が増えて蓄積してしまうのです。
つまり…成功した「できたね」は、「喜び」ではなくて「安堵」にしかならないのです。
更には、当事者の体格です。
ヒョイと抱え上げられる幼児とは、体のサイズが違うのですよ。
危機回避に「チカラ技」が使えない…。
認知症の方の介護とは、カラダの自由度と認知機能のアンバランスな状況での見守りと誘導なのです。
自由が利くカラダが危険を認識できずに危ない行動をとらないか…介助者が目を離すこと自体がリスクになる、身体的な衰えでの介護とどちらが大変か…ということではなく、全く以て、その介護の質が異なるワケです。

認知症の父の介護を主に担当しているのは母で、いわゆる「老々介護」って言われるパタンなのですが、父の認知症が進行する中で問題になってきたのは「母の負担」だったのです。
一緒に畑仕事をして、それ以外の場面では母は家事をしたり工房で洋服を作ったりしていたワケですが、次第に目が離せない場面が増えていくワケですよ。
母が目まいによる「不調」を訴える機会が増えてきた裏には、父への不安が隠されている、そしてその母が倒れるという「最悪」を私は考えざるを得なくなるのです。

そんな中で私は母へ、ふたりの生活についてのふたつの提案をします。
日中だけでも父を介護施設に預けて、少しでも母が心配事から解放されて「ゆっくり」と過ごせる時間を作ること、それと毎朝欠かさずに私に定時連絡を入れること。

この提案を受けて、父は週3回の介護デイサービスに通うようになり、母は毎朝の定時連絡を入れる様になるのです。
ただ…デイサービスは父の本意ではなかったことで、なぜ施設に通わなければならないのかが上手く理解できないまま連れていかれることに、父の「不満の気持ち」があったのは間違いないことだったのだと思います。

実家を出て日が長く、結婚して別の世帯を構えた私たち夫婦が、自分たちの生活を守りながら両親のことを考えるのはこの程度で精いっぱいだと思っています。
ここに私が発達障害であるとか定型であるとかの考えが入り込む余地は、多分ありません。
ただし、今回のこの提案についても、私の切り出し方は物理的・具体的な安全を前面に押し出した「その場での最善策の提案」という極めてASD的な発想であって、「両親の気持ちを聞き出した上で納得してもらう」という心情的な部分が十分であったか…と問えば、きっとそうではないだろうと、振り返ってそう感じます。

認知症を患う方は、記憶の歯抜けがあったり短期記憶が極端に弱くなったりして辻褄が合わないことを言ったり、同じことを何度も聞き返したりしてしまうのですが、だからといって感情がなくなるワケではないし、その気持ちを全て忘れてしまうワケでもないのです。
母は「父の気持ちの部分」を汲もうとしていた…では、私は?

ASDの私が社会で上手くいかなかった部分が「全く改善されず」、そのままの状態で両親に同じことをしていたのではないか?
今になってそんなことを思い、私は悔しくて唇を噛むのです。


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