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Episode 674 宇宙戦艦の艦橋です。

日本のアニメーションは世界に大きな影響を与える文化のひとつなのだと思います。
このアカウントで綴る記事にも、「千と千尋の神隠し」や「おおかみこどもの雨と雪」など、アニメーション作品を話題に取り込んだものが多く存在します。

1970年生まれの私は、幼い頃からアニメーション作品に親しんで来ました。
私の子ども時代は今よりもジェンダー意識が強くて、アニメーション作品も「男の子向け」「女の子向け」のように、性別による棲み分けもかなり露骨だったように思います。
私がテレビにかじりついて「テレビマンガ」を見ていた昭和50年代から昭和の終盤期…恋愛などを多く扱った「キャンディ・キャンディ」や「はいからさんが通る」のような女の子向けの作品がある一方で、男の子向け作品にはSFロボットものというジャンルが存在していました。
「宇宙戦艦ヤマト」に「機動戦士ガンダム」、そこから時代は下って「超時空要塞マクロス」とかね。
私もまた、当時の多くの男の子たちと同じように、このSFロボットものの作品が大好きだっだのですよ。

それぞれの作品の世界観は、SFであるが故に「異星人との交戦」や「スペースコロニーでの生活が普通に行われている」とか…それは突拍子のない設定のものも多かったのですが、その設定に現実味を持たせる仕掛けも多くあったのだと思います。
何せ「ガンダム」や「マクロス」は、直近でも新作が出るほど人気があるワケでして。

コレらの作品に共通なのは、地上と宇宙空間を行き来することができる(戦闘型の)宇宙船の存在です。
地上と宇宙空間を行き来できる宇宙船は、1981年からアメリカ航空宇宙局 (NASA) によって運用された「スペースシャトル」で実現します。
「人類の夢」を先行して叶えることになる、地上と宇宙を飛行機のように行き来できる物語の中の船の存在は、ある意味で「手の届く未来」のように思えたのかも知れません。

ただ…残念ながら、この当時のアニメーションの中で描かれる宇宙船は、どれも「重力の存在」から解き放たれることはありませんでした。
宇宙に旅立った船の中で走り回る人たち…「なぜ走り回れるのか?」と問うたら、それはそこに重力が存在しているからですよ。
「運動の第三法則(作用反作用の法則)」で走ることを説明しようとした時、地面を押す(作用)と同じだけの反発があって跳ね上がる(反作用)のだから、重力がなければ飛び上がったまま落ちてこないハズ…。

「ヤマト」の沖田十三艦長にしても、「ホワイトベース」のブライト・ノア艦長にしても、司令官席にどっかりと座り指揮を取るワケで、航海長も砲雷長も艦橋にある席に着き、重力の影響を受けて任務に当たっている姿を見て、そのアニメーションを見ている私は「何の『違和感』も感じない」ことにすら気がつかないのです。

もちろん私は「宇宙空間には重力が存在しない場所がある」と知っているのですよ。
体がフワリと浮いて、通路を飛びながら移動する場面はアニメーションの物語中にも出てきますしね。
それが、どうして艦橋に入った途端に席に座れるほどの重力が発生し、なぜ緊急時になると先程は飛びながら移動していた通路を走れるようになるのか…。

いいじゃないですか…所詮はフィクションであるアニメーションの中のお話なのだから。
まぁ…ね、そんな目くじら立てるハナシではないのは、その通りなのですけどね、私たちの想像できる「無重力空間」って、このレベルなのだろう…などと思うことがあるのですよ。

「重力」は地球で生活する上で物理的に抜け出すことができない絶対的なパワーですからね、宇宙空間に長く滞在したことがある宇宙飛行士を除き、無重力体験は想像する以外ないのですよ。
だから、都合の悪いことは想像の対象外とされてしまい、無意識に重力の支配下に置かれてしまう…無重力空間での食事とか、皿の上の料理を箸やナイフ・フォークを使って食べ…られませんよねぇ…きっと。

普通にあるものが「ない」とは、それを想像するとは、このくらいの困難が伴うのだろう…と思います。
コレは物理的な法則に関係することだけではありません…美内すずえ先生のマンガ「ガラスの仮面」に出てくる「奇跡の人」で、三重苦を抱えるヘレン役のオーディションの場面(単行本10巻付近)があります。
見えないし聞こえないハズのヘレンが、いかにもオモチャで楽しげに遊ぶオーディション参加者に違和感を感じるヒロイン・マヤと、そのライバル・亜弓。
つまり「『ない』の想像が如何に困難なのか」を、上手く逆手に取ったストーリーなのですよね。

私は障害者と呼ばれる人たちに求められる「できるようになる」方向への療育/教育の裏に、「できない」ということを想像することの困難を感じることがあるのです。
それはまるで「宇宙を行く戦艦の艦橋」のように、無重力空間であるとわかっていて尚、重力に支配されてしまう描写のようにナチュラルに出てしまうものなのだろう…と感じるのです。


今回のお話とは直接関係ありませんが、冒頭の話題で出たアニメーション作品を題材にした記事を添付しておきます。
興味のある方は、読んでみて下さい。

「千と千尋の神隠し」

「おおかみこともの雨と雪」

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