見出し画像

Episode 382 リベラル思想が曲者です。

2019年度に「専門職大学」なる学校制度がスタートしました。
「実習や実験等を重視した即戦力となりうる人材の育成を目指す目的で設置される学校」…なのだそうです。
そういう意味では「旧制高校・旧制大学」ではなく「師範学校」の流れを汲む教育学部は、どちらかと言えば専門職大学的な要素が強いのだろうと思います。
数十年ぶりの教育新制度…なんて言っていますが、そうなのかなぁ…なんて思います。

私は教師を目指して教育学部に入ったワケではありません…が、教育学部生の多くは教職に就こうとしてこの学部に入学してくるのです。
目指す職業が先に決まっていて、その職業に就くために狙って入ってくる学部は教育学部の他に医学薬学や看護などの医療系があります…当然のことながら、この手の学部は実習が必須なのです。

そんな中で一緒にいれば、いくらボッチであったとしても学部の流れとして教職に就くことも考えるワケですよ。
ところが、私が大学時代に歴史学を勉強する過程で理解した、社会科という学問の「立体的に捉える視野を育てる」…という根本的な部分を学習指導要領は認めてくれないのです。
あくまでも、日本という国の立場に立った見解で事象を捉えることを求められる…それは教科書検定の度に「特に歴史の教科書で意見が多く付けられる」ことからも想像できると思います。

私の感覚としては、歴史とはお互いの正義と正義がぶつかり合い、時流に乗った力あるものが勝ち上がりページを作るというイメージです
どちらかが善で対極が悪、そして正義が勝つ…ワケではない。

あなたの正義は何ですか?
私の正義とは違うのですか?
では、その正義を比べて検討することが必要ですよね。
それが私の教えたかった歴史学の正体。
そうではないものを歴史学として教えることは…出来ない。

そもそも教職に就こうと思って教育学部に入ったワケではなく、歴史学の勉強ができる場所として選んだワケで、歴史学が勉強できた時点で目的は達成されていたワケです。
そして、それぞれの意見を尊重するリベラルな思想を持つに至るのです。

実は…私には、このリベラル思想が曲者だったのです。
あなたと私の意見は違い、それぞれが正義である…と、頭では分かっているのです、そういう勉強をしてきたのですから。
でも、私は「あなたの意見と私の意見が対等に比較できるフィールドがあって初めて意見の検討が出来る」…と勘違いするのです。
つまり、あなたと私の意見を全て理解する必要がある…と。

お互いの意見を第三者的に比べて検討しようとするなんて、ハッキリ言って無理なんですよね。
相手の立ち位置が私と同じように「物事を俯瞰できる位置」になることを求めるなんて無理なんですよね。

あなたと私の意見の違いを理解するために、同じ立ち位置に立って欲しい…?
その時点であなたの立ち位置を否定してるワケですよ。

相手を尊重しているように見える私の足元が既にオカシイ。
こうして私は「リベラルのジレンマ」に落ちるのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/12/1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?