見出し画像

Episode 328 記憶の洪水で溺れます。

日本のアニメーション文化は世界的にも評価が高くて、例えばテレビ放送されるその制作数も驚異的な数です。
最近はテレビドラマと同じように年間4クールのセットで考える作品が増えてきました。
一年を4つの季節に分割して春ドラマとか夏ドラマとか…だいたい10~12話で完結する作品がドラマには多くて、アニメーション作品もそれと同じパタンが増えてきたみたい。
昔のアニメーション作品って、サザエさん・ドラえもん・クレヨンしんちゃん・ちびまる子ちゃんみたいに延々と同じ枠・同じタイトルで放送される作品が多かった気がしますが…。
そもそもアニメ化されるベースの作品が「マンガ」や「小説」ということが多くて、実写のドラマと原作の取り合いみたいなことも起こっているのだろうな…と勝手に想像。
そのマンガという文化も相当なハイレベルで、絵・物語・構図・構成…どれも完全オリジナルな作品がマンガ家さんの手によって日々生み出されているワケです。

マンガが原作のアニメーション作品を見ていて思うのは、大体30分モノのアニメーション1話分で原作の3~4話分を使って話が進んでいく感じかなぁ…ということ。
だから、単純に年間365日÷一週間7日≒52週間として、1クールのアニメ作品で、ざっくり1年分の原作マンガを使う勘定…。
そりゃぁ…原作が追い付かなくなるワケですよ。
第2期・第3期…と、間をあけながらアニメ化されていくのも納得の方法だったりします。

マンガや小説がドラマ化されたりアニメ化されたりするときに、原作と決定的に違うのは「尺」という時間の概念だと思います。
多分…私の「読み方」の問題もあるのだと思いますが、原作の方が時間がゆっくりと流れているように感じます。
どう言ったら良いでしょう、一瞬の心理描写に数ページ掛けるとか、いま一瞬の描写で見開きの2ページを割くとか。
それぐらい大事に描かれた一瞬を、時間の概念が現在進行形の秒針とほぼ等しいドラマとかアニメでどのように表現するか…というのはとても難しいことで、それをカバーしつつも時間軸のスピード感を維持するには、どうしても話を先へ先へと巻いて行ってしまうしかないだと思うのです。

私の頭の中の構造は「YouTube動画」のように映像化された記憶が保管されている…とお話ししました
つまりですよ、小説やマンガの数ページにわたる「一瞬」が、映像という尺の概念を含む記憶に「圧縮」して保管されているということ…だと思うのです。
だから、それを記憶から引き出してきた時に、「圧縮」された記憶が「解凍」されて、膨大な量の描写が溢れてくることがあって…。

アタマの中に情報が溢れて、必要な情報を拾い集められなくなってしまうことがあります。
あなたの質問に対してうわの空で、ピンボケで答えになってない返事をしてしまう時とか、それはきっと…脳内の記憶の洪水で溺れている時です。

分かりやすくマンガのアニメ化という圧縮の例えを使いましたが、これはあくまでも例え話。
辞書をパラパラと捲って必要な言葉を探し出すようなスマートで美しい検索ができるとカッコいいのですが…。

旧ブログ アーカイブ 2019/8/8

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?