Episode 487 クルマが助けてくれたのです。
私が乗っているクルマは2014年式の「日産 NOTE」、2020年現在も販売されている現行式E12型の、マイナーチェンジ前の初期型で、その前まで長らく乗っていた1997年式「マツダ DEMIO」のマフラーが折れたの機に買い替えたヤツ…基本的にクルマは買い替えずに乗り潰すタイプね。
でもね、流石に初年度登録から17年経過したファミリーカーのマフラーを交換してまで乗り続けようとは思わないのです。
今、乗っているNOTEが納車されたのが2014年の2月末のこと、その納車すぐ後に「一族で旅行に行こう」って話になったのです。
2014年の春時点での父の認知症の傾向は、記憶の歯抜けが目立って来た頃でした。
「郷里の家」の向かい側で始めた畑仕事も、自分たちが食べる分だけでは済ませれない収穫量があり…って言っても、農協にも所属しない素人ですから出荷ができるわけもなく、そもそもが大きさカタチが不揃いで、それを選別すれば出荷量に見合うほどの収穫もないワケです。
…で、自分らで消費しきれない野菜をセッセとウチに届けに来るのですよ。
夏から秋にかけての夏野菜は、トマトやナスなど実を食べるタイプが多くて日持ちしません。
ナスに襲われる夢を見るくらい、どっさりと採れる夏野菜でウチの冷蔵庫の野菜室は溢れかえるワケです…まぁ、「食べ物に困らない」という、ありがたいハナシなのですが。
ただ…この「配達」の心配事は、何と言っても父のクルマの運転で、特にバック走行での安定感の無さは「ヒヤリ」とするほどになっていたのです。
そもそもが地図読みや住所などの位置関係のトラブルで気が付いた父の認知症傾向だったワケでして、物理的な位置関係に不安がある状態でのクルマの運転が危ない状態になっているのは明白でした。
旅行の話が出たのは、そんな状況の夏が過ぎ、天気の悪い日本海側の冬を過ぎた春先のこと。
天気の悪い冬場は、必然的に外出の機会が減ってしまうワケで、できることが減るということは認知症には良くないのです。
認知症の進行は冬場がひとつの山場になるのです。
どんなに頑張っても進んでしまう症状に、最後の思い出を…。
まだ記憶があるうちに、私の家族と姉の家族、それに両親で、近くてもいいから温泉にでも行こう。
クルマで1時間もかからない近場の温泉宿にみんなで泊って、私の新車をパートナーが運転して、父のクルマを私が運転して、帰ってきた次の日、父のクルマのエンジンが掛からなくなったのです。
恐らく、単純に「バッテリー上がり」と思われるセルモーターが回らない状況ではあったのですが、これは「合図」と父以外の誰もが思ったのです。
「クルマが疲れたって言ってるから…」
クルマを引き取ってもらい、免許を返納するきっかけになったのは、クルマが動かなくなるという物理的な出来事でした。
私がASDと診断される直前のことです。
母をかかりつけ医に連れていく途中、そんなことを思い出していました。
人の気持ちを察することが苦手なASDの私に、父のクルマは「動かなくなる」ことで私を助けてくれたのでしょうか。
「具体的」という切り口で、高齢者の免許返納という難しい問題をクリアできたのは本当にラッキーだったと思います。
このことが無かったら、免許返納やクルマの運転が拗れていたのではないか…。
相手の気持ちを汲んだ上の交渉事…それが介護を進めるうえで重要なポイントになるのは明らかなのです。
出来ないことが増えて「諦めさせる・取り上げる」をせざるを得ないワケで、それを進めるのが下手なのはASDの特性上で明らかなのです。
ASDの私が介護のキーパーソンになるということの難しさは、この交渉ごとの問題が大きい、そんなことを思うのです。
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