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Episode 208 目に見える指示が必要です。

目に見えて成果が現れることは、ASDの私にとって分かりやすい達成感です。
だから私は、コレクションをコンプリートしたり、日本地図を完成させたりすることが大好きな子どもだったのです。
逆を言ってしまえば「目に見えないこと」は私にとって、とても理解しにくいことでして…。

例えば、幼稚園・保育園や小学校で「外から帰ってきたら手を洗う」って教わります。
この時、紙芝居とかで手に「ばい菌さん」が付いているのを石鹸で洗い流すって話を聞くのは誰もが一度ぐらい経験したことがあると思うんですよね。
私には、この「ばい菌さん」が見えないんですよ。

自分の手をじっと見ても「ばい菌さん」が見えないのです。
聴いた話によると、外で遊んで帰ってきた手には「ばい菌さん」がいっぱい居て笑っているらしいのです。
でも、どんなに目を凝らしてジッと自分の掌を見ても、自分の掌にしか見えないんですよね。
私の感覚としては、「ばい菌さんが見えない=手が汚れていない」です。
手を洗う必要なんてないじゃないですか!

お風呂に入るとか、一日の汚れをキチンと洗い流して…って、服を着てカバーしているのだから汚れるわけないじゃない?
汚れって、砂とか土とかが手に付いたのを「ジャー!」って流すと水が濁る「あれ」でしょ?
…って感じに、目に見えない「ばい菌さん」を理解するのに、ものすごく時間がかかったのです。

幼いころに付けてしまったその感覚は、なかなか正しく認識されないものでして、今になっても帰宅後の私の手を見ても、やはり「ばい菌さん」を発見することが出来ないのです。
もちろん、理論的な事は十分承知してますよ。
ただ、それと自分の手が汚れている様に見えるという感覚がリンクしない…。
だから、帰宅と手洗いうがいをセットにしてしまうワケです。
帰宅後のルーティンワークですよね。

では、食事の準備に取り掛かる前は…?
外出していたワケではないので、手が汚れていたワケではない?
そんなことないですよね、置きっぱなしのPCのキーボードや、テレビのリモコンとか、それがキレイかと問われれば、Noでしょうね。
でもね、私の手には「ばい菌さん」が見えないのです。
だからここも調理の前に手を洗うことことをルーティンにするのです。

同じ要領で、料理を出す前のテーブルを拭くとか、
トイレの後に手を洗うとか、
夕方、帰宅後に風呂に入るとか…。

私には、汚れを掃うという感覚が欠けているのです。
それは、目に見えない「ばい菌さん」の理解が出来ないことが原因です。
埃がたまっていたり、カビが生えているとか、具体的に目に見える汚れを認識して退治ずることは出来るのですが、目に見えない「ばい菌さん」の理解が苦しい…。

他の人のことは分かりません…でも、言われたことしかできないASDの感覚って、こう言うことなのではないのかと思うことがあります。
全てではなく、人それぞれの「すっぽり抜け落ちた感覚」があるのだと思います。
それは理論的には分かっていても、感覚的に見つけられないのです。

未だにルーティンからこぼれたシチュエーションが発生すると、手洗いが抜け落ちることがあります。
具体的に指摘され、ひとつずつルーティンに組み込む作業を繰り返して今の生活です。

ASDの人の待ち合わせとか、時間に関してのトラブルって偶に耳にします。
きっとその人の感覚では、「目に見えない時間の感覚」が、私の「目に見えないばい菌の感覚」に近いのではないか?…と思います。

ASDの人への指示は「具体的に出すことが大事」と、よく聞きます。
私は「具体的に」とは、「目に見える」ということのような気がします。
だから、待ち合わせの苦手な人には、ピンポイントのデジタル時計より、文字盤のあるアナログ時計で範囲を示すような「目に見える工夫」が必要だということだと私は思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/4/10

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