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Episode 393 認めてこその平等です。

浜崎あゆみさんが出産後1か月でステージに戻ってきた件について、イロイロと話題になっているようです。
やれ「スゴイ」だの、ほれ「見習え」だの。
結局のところ、この話題の背景には「現状の社会の歪さ」が言葉になって現れているのだろうと私は思います。

私は男性なので、当然のことながら妊娠も出産もできません。
母乳も出ませんから授乳も出来ません。
それ故に、どうしても乳吞み児と母親の繋がりは強く、男親はそれをサポートする役に回ることになりがちです。
私はそうなってしまうことはごく自然なことで、それ自体に問題があるとは思いません。
問題は、特に男性側に「サポートとは何ぞや?」と考える意識が足りないこと。

私はASDという発達障害を自覚するまでは、ジェンダーの問題は順調に解決の方向に向かっているものだと思い込んでいました。
「でも、そうじゃなかった」と思い知らされたのは、私自身が社会的なマイノリティであることを突き付けられたから。
精神障害者保健福祉手帳を取得して尚、欲しい支援と福祉の現実のギャップを実感したから。

私は以前、障害者手帳は水戸黄門の印籠ではなく、社会で生活できるように目線の高さを合わせるためのゲタであると指摘しました。
その為に必要な支援は「合理的な配慮」の一点で集約できると思っています。

求人票から男女の項目を消して「はい、女性もやれるものならどうぞ」と門戸を拡げる一方で、家事は女性が担うものという部分の「暗黙の了解」は継続…で、出来るわけないじゃないですか。
宇仁田ゆみさんの名作マンガ『うさぎドロップ』で描かれる通り、それが女性じゃなくて男性であっても同じように如何に家事・育児と仕事の両立が大変か、分かり切っていることじゃないですか。

浜崎あゆみさんは自身のインスタグラムに「多くの方のサポートがあってステージに立てた」という趣旨の発言をされています。
浜崎あゆみさんひとりの力でステージに立ったわけではない…と、明言されているのです。

今一度「サポートとは何ぞや?」を問いたいと思います。

私は人間という動物として、性差…男女の違いは当然あると思っています。
その上に個体差があり、環境差もあるワケです。
先ず、差があるということを認めること…それが平等の前提なのだと思うのです。

そして差を埋めるべくサポートすることこそが、真の平等であると思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2020/1/5

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