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Episode 381 民意が先は当然です。

これは私の思うところであって、一般論ではありません。
誰かを批判する気もありません。
何度もこのブログで同じことを書いてきましたが、今回も改めて書き記しておきます…さて。

私は教育学部の出身ですが、先生になるための勉強をしていたというよりは、日本史を学んでいたと言った方がしっくりくる…と、お話ししました。

先に説明した通り、日本史は「事件」のあった当時のそれぞれの当事者の考えを紐解いていく学問なのです。
それ故にその「事件」に関係ないことについては、ハッキリ言ってどうでもよいのですよ。
先日話題に出した「本能寺の変」について言えば、そんなもの私には「どうでもいいこと」なのです…だって、私が専門にしていたのは「昭和」ですもの。
もちろん昭和は本能寺の変があった安土桃山時代よりも時代的に遥か下流ですから、これがなければ昭和があったかどうかも怪しいのですが、そんなこと言っていたら…それこそ縄文時代から全部押さえなければならなくなる…まさに「通史のナンセンス」なのです。

それで、専門の「昭和」ですが…具体的には昭和恐慌~終戦が対象の時期…僅か20年足らずです。
この時代に何が起きたのかを一言で表せば「大不況という暗い世の中で、日本人が生き延びる知恵を探し続けた時代」ということでしょう。
かなり露骨に乱暴な書き方で説明すれば…
昭和恐慌から世界恐慌という全世界的な不況で経済は大混乱、企業は倒産し、失業者が街にあふれる時代、政府が打ち出した施策は2つ…移民と自力更生。
街にあふれた失業者が目指す場所は、広大な荒野が待つ大陸の植民地か、猫の額ほどの田畑を耕す郷里の農村か。
国内で食わせきれない国民を国外に捨てたのです…それが移民。
それでも国内に留まろうとした国民は、自分らで何とかしなさい、と…それが農山漁村経済更生運動(自力更生運動)。
そして時代は武力で生き延びる場所を作る方向を模索することになる…戦争へ。
…ということです。

私は、この時代の「(優秀な)国民が生き残るため」という大きな力が戦争に向かう流れを作る中で切り捨てられる、庶民の「砂を噛むような」虚無を知ることになります。
大陸に向かおうと、国内に残ろうと、政府は立派な「お題目」を掲げるだけで、困り果てる庶民の救済には本腰を入れないのです。

歴史学を勉強した私は、歴史を作るのは「正義」ではなくて「権力を握るもの」だということを目の当たりにするのです。
切り捨てられた弱者は、それでも与えられたフィールドで自助・共助のコミュニティを作ります。
自分たちで生き延びる知恵を持ち寄るのです。

公共の支援は当てにならず、それ故に自助・共助が生まれる。
その構図を私は学生時代に理解してしまっていたのです。

タイムリーな記事が11月26日、朝日新聞の一面「折々のことば」に載りました。

私は学生時代から、少数派が生き残る知恵として自助・共助が生まれることを知っていました。
社会の支援は自助・共助がムーブメントとなって世論を押し上げることによって生まれるのです。
それは、日本に限った話ではない…アメリカの公民権運動だって、同性カップルの社会的な認知だって、その構造は変わらないと私は思います。

私は日本の政治や政府を批判する気はありません。
民意が先に出るのは当然のムーブメントなのですから、対応や支援が後手に回るのは当たり前なのです。

支援が足りないと思うなら、先ず自分で動くこと。
自助会を立ち上げ、運営してみて、学生時代に得た知識とこんな風に結び付くとは思いませんでした。
裏を返せば、分かっていたからやっているのかもしれない…そんなことを思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/11/27

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