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Episode 648 それは一概に言えません。

私は高校を卒業するまで、同じ環境で2年目…ということを経験したことがありません。

それは明らかに偶然だったのです。
私の希望で環境が変化したのではない、物理的な理由で毎年環境が変化してしまったのです。
そしてこの環境変化が、私の性格を作りあげるひとつの要素になったと思っています、というのも…。

「ASDの人は環境の変化に弱く不安定になりやすい」という意見を多く聞きます。
「発達障害」「環境変化」というキーワードを入力してネット検索すれば、その手の記事がザクザクとヒットするワケでして、医師や心理士などの専門家も含めて、それだけ多くの人が言っているのですから、それはASDの人の一面を捉えて間違いのないハナシなのでしょう。
でも、私はこの「ASDの人は環境の変化に弱く不安定になりやすい」という意見を聞く度にモヤモヤするのです。
だって、ASDの私は、決して環境変化に弱くないですし、むしろ環境変化を望んでいたのですから。

では、どうして同じASDという(障害)特性を持つ人が、方や環境の変化を嫌い、此方で環境の変化を渇望するのか…という点に疑問が残ります。
それはきっと、今いる環境に秘密があるのだと、私は思うのです。

私は、今いる環境がASDの私にとって「好都合」か…という点が、この問題を理解するキーポイントになると思うのですよ。

ASDと診断された人は、人との関係性を築くことが苦手…これは何度も説明してきたし、この対人関係どのように対処するかによって行動パタンが変わることも説明してきました。

普通を装い、発達障害の特性を隠すことに繋がる「マスキング」をすることにメリットが発生しないということになり、「普通ではない」を指摘されることに対しての極端な落胆も発生しないことになる…。

note記事「答えが違って当然です。」より

擬態(マスキング)と呼ばれる行為は、自分の上手くいかない部分を覆い被せる「外の顔」です。
これが「できる/できない」「する/しない」により、当事者を取り巻く環境は大きく変わるだろうと思います。
極端な話、マスキング「できない/しない」とした時に、ASD当事者の特性は良いも悪いも外に向けて露わになるワケです。
すると、そのASD当事者の周りの人は、当事者の行為/行動を受けて、定型とは違う対応することになる可能性があるワケです。
ここに当事者が今いる環境の居心地の良さが発生する素地があるのだと私は思うのです。
この居心地の良さを崩す「環境の変化」が、本人にとって都合がよいワケないじゃないですか。

その一方で、擬態(マスキング)をすることで定型社会に溶け込もうとする私のようなタイプは、一見すると「普通の人」に見えるのですが、その中身は外面を被ったASDなワケですよ。
カタチだけ定型と呼ばれる人の行動を真似るワケですから、どことなくぎこちなさが残り、あちらこちらに違和感が滲むのは、このタイプで「あるある」なのです。

あなたと私の関係で見せかけだけの擬態(マスキング)で辻褄が合わなくなった時、そのズレを修正するコミュニケーションに難があるASDの私ですから、ゲームのようにリセットボタンを押し、振出しに戻す荒業に出ることがあるのです…経験上。
ただ、振出しに戻れるのは、ASDの私だけなのですよ。
あなたは私と一緒に振出しに戻るワケではない…当然です。
一回二回の小さなリセットで「おや?」と思ったあなた、その後もリセットでハナシが無かったことにされるような事態が続けば、当然「変だ」と思うでしょうね。
この辺りにね、環境変化を期待するASDが誕生する素地があるワケです。

要するに「ASDの人は環境の変化に弱く不安定になりやすい」というハナシは、ASD当事者と周囲の方の関係性の中で発生する相対的なものなのじゃないかな…と。
ASD当事者が、自らのASD資質をどのように扱うのか…押し出すのか隠すのかという点がひとつ。
一方でそのASD当事者の行動を、周囲の人がどのように感じて対応していくのか…気付くか気付かないか、受け入れるか突っぱねるかという点がひとつ。
そのバランスによって変化を嫌うのか希望するのか変わってくるのだろう…と。

「ASDの人は環境の変化に弱く不安定になりやすい」というステレオタイプ的なASD像に対して、その特性を持ち合わせていないASD当事者は心にモヤモヤを抱えます。
全く逆の方向性に性格形成されるASD当事者の、皮を何枚か剥いた内側には、同じような特質の「ASDの本質」があるように思います。
私はここに行き着いた時の面白さに、最近目覚めたように思うのです。


ステレオタイプ的なASDに一石を投じる、あずさ(@41azusayumi)さんのこちらの記事も面白いですよ。

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