見出し画像

Episode 179 技術だけではダメなのです。

最近では比較的早いタイミングで発達障害と診断される方が多くなってきたと思います。
テレビでも積極的に発達障害の特集をしたり、少しずつ社会的認知も進んできている様に感じますし、それ自体は非常に良いことなのだろうと思います、でも…。

就活を控えた発達障害を抱える大学生に「指導」をしている場面とかを見ると、なんか違和感を感じるのです。

詳しくは知らないのですが、あの指導って「一般枠での就労」を目指している、就職することだけを目的としている様に見えてしまうのです。
本当に重要なのは、仕事を始めてから後のこと、あの指導はそこのケアが含まれているのか…それはすごく気になります。

学校側の努力はわかります。
特に私立学校なら、就職率や就職先は学校の評価と関係ないワケがありません。
ただ、学校の評価は学生の就職が決まった時点で「お役目御免」なのではないか?
就職した後は、企業の問題…うん、そう言われてしまえば反論できません。

でも、発達障害で苦しんでしまうのは当事者であって、これから長い社会人生活で「自身の特徴を隠したまま生活が可能なのか」と考えると、私の経験上「相当のムリ」が発生するのです。

では、企業側は発達障害者を雇用しようと考えているかといえば、No の会社が圧倒的なんだろうと想像します。
企業としては将来有望な若者を獲得しようと考えているのは間違いないのです。
それ故に、何らかの「トラブル」を抱えている人を採用しようとは考えないのが普通でしょう。
世の中には不適正検査などという空気が読めるか読めないかなどの社会的なコミュニケーションスキルを測定する類のテストも出回っているようで、なるべく「トラブル」がない人材を得ようとする傾向は間違いないのだと思います。

振り返ってみて、発達障害者の雇用に何が足りないのか…と考えた時に、発達障害者でも普通に活躍できているという「実績」と、それに伴って編み出された「工夫」なのかと感じるのです。

私の場合、何度も挫折を味わいながらも、今の部署で今までにない「安定」を感じているのは、会社と私の関係性に変化があったからだと思うのです。
上長が私の特性を知った上で他の従業員と分けずに対等に扱ってくれること、私も自分の状態について上長に報告していること。
こうした環境の中で上手に自分の得意を生かせる仕事に就ければ、会社に有用な発達障害者の実績が作れると思うのです。

でも、道は険しい…。
この関係は上長と私の間のみで行われている「個人的な関係」であって、会社はそれを知らないワケです。

発達障害をオープンに出来て初めてその能力と障害の有無がリンクするのです…発達障害は視覚では見えない障害ですから。
でも、能力が開花するまで障害を隠していないとならない今の環境では、開花するまでに起こりうる「社会とのストレス」に耐えきれる人はごく一握りなのだと思います。
私のレベルでさえ、公表できない…何とか家族で生活できるけど、ここで会社に見放されたら、家族で生活できる収入を確保できないのです。

だからこそ…この壁は、何とか乗り越えないとならないと思うのです。

「発達障害の仕事術」みたいな今の社会に迎合する技術を持ち合わせられる人は、ストレス耐性も強いのだろうと感じます。
社会に自分自身を滑り込ませるわけですからね。
でもそれは、ナチュラルでニュートラルな自分自身ではないような気がします。

学校の発達障害者向けの就活指導は、所謂「ライフハック」の類に限定されていないか?
特に優秀な学校を卒業できる頭脳を持ち合わせている人なら、「瞬間的な技術の理解」だけならワケないでしょう。
問題はそこからです。

ニュートラルでいられないことが、どれほどのストレスを生むのか…。
ニュートラルでいられるにはどうすればよいのか?

本当に考えないといけない部分には、まだ何も手が付いていないと感じるのは、きっと私だけでは無いと思いたいのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/3/12

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?