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Episode 463 トロイの木馬と気付きません。

ガンダムファンである私の「ガンダムトーク」は止まりません…。
ガンダムは最初のシリーズが放送されてから続編が幾つも作られ、更には「アムロ×シャア」のファースト・シリーズに至るまでの話も公開されています。それはまるでSF映画の一大ブランドである「スターウォーズ」のそれと同等の壮大さなのです。

そのガンダムの続編で語られる「ジオン」は独立した自治権を辛うじて持つ「共和国」である一方で、増えすぎた人口を宇宙に捨てた「宇宙棄民」というマイノリティの権利を主張するゲリラ組織として存在し続けます。
そもそも、ジオンが誕生した理由こそが「宇宙棄民」の権利主張…つまり「スペースノイド」という宇宙で暮らすマイノリティが、地上で生活する「アースノイド」と同等の人間であるという基本的人権の主張であって、それこそが「革新の旗頭だった」という表現が、私がこのコラムでガンダムを扱った理由なのですから。

世界的な革新の流れというのは、新興勢力の権利が十分に確保されないことから発生する…というお話は先にした通りです。

本来であれば、自らの苦しみを社会に訴えることで権利を勝ち取ろうとするハズですが、先天的なマイノリティであるASDの方の多くは、自らの感覚が定型一般の枠に入り切れない…ということをなかなか理解できません。

それ故に愛する人と巡り合って、お互いに愛をはぐくみ結婚…となった時にお互いの感覚の「ズレ」に気が付くことになるのです。
それこそが「我こそは保守だ!」と思い込ませたザビ家のジオンのように、自分の信じる保守を突き通すことになる…というのが私自身を振り返って感じることです。

ASDを自覚・自認するとは、保守ではなかったと本当の意味で気が付く…ということなのですが、それはガンダムの第一作で描かれるジオン然り、膨大な犠牲を払ってやっと手にした気付きだった…と思います。

カサンドラになってしまったあなたに向かって「何で相手がASDだと気が付かなかったのか?」みたいな話を耳にすることがあります。
カサンドラに追い込むASDの最大の問題は、「保守の仮面をかぶった革新」という思考パタンだと思っています。
あなたから見たら、「トロイの木馬」に見えてしまうそれを、もう少しお話しできたらな…と思います。

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