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Episode 413 乱視のメガネで感じます。

私ももう直に50歳になろうとしているワケでして、この齢になるとカラダの老化が本人の気が付くカタチでも色々と出てくるのですよ。
例えば「老眼」とか。
手元がね、見えなくなってくるのですよ…。
急激に見えなくなるワケではないので「パッ!」と気が付かない…テレビのクイズ番組で「一ヶ所だけがユックリと変化します」なんて類の視覚に関する錯覚や思い込みを使った問題なんか、たった30秒でもガッツリ変化したことに気が付かないくらい、人間の視覚に関する思い込みがあるワケですから「文字が一年かけてゆっくりボヤケてきます」なんて、直ぐすぐに気がつくワケもないと思うのですよ。

それで…職場で「最近老眼で…」という話題になった時に、
「あれ?近眼の人って老眼になりにくいって、違うの?」って言われてね。
「いやいや、近眼の人もシッカリ老眼になりますから!」って、ツッコミを入れたくなるのを笑ってこらえて…「いや、老眼鏡を使わないだけの話なんだけどね」って、思ったりするワケですよ。

例えば…裸眼1.0の人が近くを見るのに、老眼で+2.0の老眼鏡(凸レンズ)を使うのと、
近眼で普通は近眼用-2.0(凹レンズ)の眼鏡を使って視力1.0の人が、近くを見るのに老眼でメガネを外す(裸眼で度数は0.0)のは同じ意味合いですから。
どちらも遠くを見る視力は1.0…そこから近くを見るためにプラス側に2.0度数が動くって話です。
要するに、眼球の奥側にある網膜にキチンと像が映し出せるようにピントを整える機能をレンズで補正するってことでしかないワケですよ。

そういう意味では角膜に直接接触させて使用するコンタクトレンズの方が仕組みは理解しやすいんだよね。
ものすごく乱暴な言い方をすれば、「網膜に像が映るように眼球の凸凹を完全な球体になるように補正するもの」って言えば分かりやすいかも…レンズによる補正とはそういう仕組みなのだと私は理解しているのです。

さて…最近「老眼」が気になる私とは別のハナシ、パートナーは「乱視」なのです。
乱視の気がない私にはその見えなさ加減が良く分からない…モノが二重に見えるとか言われるわけだけど、はてさて…。

子どものころに、黒い紙に凸レンズで太陽の光を集めて焦がして遊ぶとか…誰もが一度くらいやったことがあると思うんですよね。
あれ、凸レンズが回転対称で出来ているから焦点が出来て、光が一点に集められるから紙を焦がすワケですよ。
同じように黒い紙の上にプリズムをかざせば、紙には虹が映るはず。
乱視の方の目って、つまり凸レンズ型の回転対称ではなくて、ラグビーボールみたいに「ちょっと楕円形」になっているんだよね。
だから紙を焦がす様に焦点が集まらない、苦手な方向はプリズムを通った虹みたいになるのだろうと…。
乱視の矯正って円柱レンズがどうのこうのって説明されることが多いんだけど、「楕円形の目」を凸レンズ型になるようにカバーを被せるってイメージすればいいのかな。
ラグビーボール型の本体の外側を水晶でコーティングして「まんまるの球体」にするって感じ。
きっとそのコーティングする水晶の形がレンズで言うところの「円柱型」ってことだよ…きっと。

とまぁ…そんなワケで、お互いに違う用途のメガネを使うパートナーと私。
先日のこと、寝起きに私が間違えてパートナーのメガネをかけてしまって…。
うーん、何というかなぁ…歪むとかではなくて、平衡感覚の狂う感じ。
真っすぐ立っていられないというか、それでいて文字が滲むとかボケるとかいう遠近眼のピンボケ症状とも違う違和感。
私は乱視の矯正を必要としない…つまり、眼球の形自体はほぼ「まんまるの球体」なんだって思ったんだよね。
だから、パートナーのメガネを間違えてかけたってことは、逆に楕円形の目を作り出すことになるってこと…つまり乱視の見え方を再現してるってことじゃないか…って。

改めて、これを。

このレーダーチャートの円形が各方位へのベクトル強度で認知という像を結ぶとします。
そう考えた時に…各方位へのバランスが整って「原点0」で像を結ぶのが「最適」とした場合、私の認知が像を結ぶ場所は、明らかに原点付近ではありません。
このブレてる分が認知特性に特徴をつくる仕組みのひとつだと仮定した場合、私の認知特性には相当な「乱視」が入っていることになるのだろう…と。

残念ながら、この「認知特性という乱視」を矯正するメガネはありません。
それは先日のブログ記事で指摘した通りです。
ただ…知っているのと知らないままなのでは、その行動は変わるだろうと思うのです。

「独特な認知とはどういうことなのか」をイメージするのは、なかなか難しいことだと思います。
私は自分の認知特性が「乱視の人がメガネをかけずに生活するイメージ」なのだろうと想像します。
認知特性を矯正するメガネをかけたことがないので、そのクリアになるだろう視界は想像するしかありませんが、「そのくらい独特な視点で生活しているのだ」と、意識することはきっとできるのだろうと私は思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2020/3/8

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