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Episode 289 興味が根気を生むのです。

私はこのブログで「マルチタスクが苦手だ」と言いながら「マルチタスクも可能だ」とも言っています。
これはルーティンワークと大きく関係していると私は考えているからです。

昨日のブログ記事についての反響がTwitter上でツイートされたので、引用です。

今は自転車も車も運転できないんだけど、毎日やればできると思う
しかもかなり正確に、定型の人より丁寧にできるんじゃないかな
自転車、小さい時乗れたけど冬越したら乗れなくなったらしい、雪国らしい面白い事情だね
(中略)
何かがカッチリとハマるとできる、ルーチンであればあるほど精度が上がる
この条件にハマらない事はかなり難しいと予想
(中略)
勉強もきっと、視覚情報だし、ルールがかなり明確な上に学校や塾で丁寧に教えてくれて
尚且つ自分一人でできるし、ルーチンだし、自己肯定感はガンガン上がるし
向いていたんだろうね

これね、本当に「そう言うことだ」と思います。

自分自身の興味関心と直接結びついているのかという点は重要で、興味のあることを練習して習得することで分かるようになる、さらに出来るようになることに意味を見出すから楽しくなるのだと思います。
それが複雑な協調運動を含んでいようと…です。

クルマの運転をしていて、上手いか下手かは周囲からみれば直ぐに分かります。
上手くない人の運転は、どことなく動きに「ぎこちなさ」があると言ったらよいでしょうか…リズムが悪いというか、テンポが合わないというか…道を譲ってもスッと入ってこないとか、「このタイミングで?」という強引な割込みがあったり。
変に上手でブイブイ走るマナーの悪い運転とは違う、どことなく運転が板についていない感じ…とでも言ったら良いでしょうか。
毎日クルマを運転する人にとってクルマの運転は日常で、安全確認はキチンとするけれど、教習所で教わったように「バックミラー、ドアミラー、合図、バックミラー、ドアミラー、目視、ハイ!車線変更!」なんて念じて車線変更をするか…と聞かれれば、多分違うでしょうね。
このひとつひとつの動作がバラバラで繋がっていない感じが「板についていない」オーラを醸し出すのだと思います。
ここがスムーズにできるのか…ということが協調運動なのだと思うのです。

その一方で、クルマを毎日動かす人にとって車線変更は車線変更で、それが動作の集合体だなんて考えもしないハズです。

私にとってクルマの運転やフォークリフトの操縦は、それぞれを運転や操縦の一言で片づけられる単体の作業であって、ひとつひとつの操作の集合体であるという認識はありません。
これがクルマやリフトの免許を持っていない人からの視点だと、何かとてつもなく難しい操作を目で見て聞いて判断して、両手両足を使ってやっている様に見えるのでしょうね。

そう…これこそ当にツイッターで書かれていた通り、ルーティンワークとして定着していると言うことだと思います。
でも、以前にも指摘した通り、外から見ればこれは確実に「マルチタスク」です

ここだけの話ですよ。
私、小学校の体育はいい成績を取ったことがありません。
前転は出来ます…でも後転から先は怪しい…逆上がり?なにそれ?
でも、自転車には乗ります。
自慢じゃないですが、信号待ちしているくらいの時間ならスタンディング(自転車に乗った状態で静止)もできます。

恐らく私も「発達性協調運動障害」の傾向はあって、でも訓練して習得したものに関しては人並み程度には出来るものがあるということなのだと思います。

もともと持ち合わせている協調運動の能力が低いから、その習得には根気が必要で、だから粘り強く練習するためには興味関心が必要条件になるのだと私は思うのです。


過去記事とあわせていただくと、より分かりやすかなと思うので、リンクを貼っておきます。
練習すればできるのです。」(2019/4/17)
自分で作り上げるのです。」(2018/11/6)
コンプリート感が重要です。 」(2018/10/24)

旧ブログ アーカイブ 2019/6/30

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