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Episode 312 野球とフィギュアの違いです。

私の運動神経うんぬんの問題は別にして、スポーツ観戦は好きです。
一流のプレーヤーが真剣にプレーする姿に目を奪われてしまうのです。
ここぞのタイミングで豪快にホームランとか、絶妙なタイミングのクロスに合わせてシュートとか、スーパープレーに魅了されてしまうのです。
ここ一年でのことで言えば、去年の夏の甲子園、金足農のツーランスクイズ…でしょうか。
あれは忘れられない、2009年夏の甲子園決勝、日本文理 9回裏の猛攻とか。
真剣勝負が生むドラマに弱い…感動してしまって泣けてくるんですよ。

ただ、私はスポーツ観戦でも得意な分野と苦手な分野があってね…。
ものすごく簡単なことです。
美しさを競う競技が苦手なのです。
体操競技・アーティスティックスイミング・フィギュアスケート…スポーツの中にありながら、芸術性を求められる競技の観戦が苦手。
その理由は単純に審査基準が「私にとって」不明瞭であるからです。

芸術性を問われる競技も、当然のことながら高い身体能力と技術を要求されるわけですよ。
それについて疑う余地はなくて、すごいと思うし素晴らしいと思います。
内村航平選手や羽生結弦選手みたいに世界で活躍する選手の凄さや、その裏側にはマネの出来ないケタ外れの努力があるということは理解しているつもりです。
でも…例えばフィギュアスケートであれば、それを競技として取り扱う時に審査員が構成点について審査するワケですよね。
もちろん、技術点と言う技術そのものの部分があるのは分かるのですが…。

その点、相撲や陸上競技・球技などは、勝敗が明確で分かりやすいワケです。
私はこのような競技だと安心して観戦できるのです。

昨日のブログを書いた後、このスポーツの話が引っ掛かったのです。
これって、私の思考パタンで共通の話なのかな…と。

つまりですね、相撲や陸上競技のようなスポーツは、昨日の話で言うところの「法律のような絶対的な基準」があるスポーツで、体操競技やフィギュアスケートのようなスポーツは「立ち振る舞い」や「美しさ」という技術に別の基準が混ざってくるスポーツだということです。
恐らく、芸術性を問うスポーツの基準は人間が作り出したもので、それ故に基準のバラツキは否めない…と私のココロのどこかで思っているのです。
もちろん、それらのスポーツが競技として成立する様に採点基準や方法には厳しい仕組みが存在しているのだというのは理解しています。
ただ、「コンマ1」の点数でしのぎを削る一流選手の戦いで、その「コンマ1」を私が実感できないのです。

スポーツと言う単体の「勝負の世界」に、「美しさ」を連動させる感覚が苦手。
それはASDの特性を示す「シングル・フォーカス」「シングル・レイヤー」「ハイコントラスト」という3つのキーワードを並べた時に立体画像のように浮かび上がる、私のスポーツへの価値観のような気がします。

この辺の好みにも、ASDの特性が出ているのかもしれません。

旧ブログ アーカイブ 2019/7/23

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