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Episode 275 覚悟をもって生きるのです。

私はASDであるという積極的な気持ちが私自身を支えると言ったら不思議でしょうか?
それは社会的に精神障害の一種と認識されるが故に障害者手帳取得の理由となる思考パタンにアイデンティティを持つということです。
一般的にそれは「思考のゆがみ」と表現され、煙たがられる元になる思考です。
それを積極的に受け入れるといったらどう思いますか?

私は、決して「開き直れ」ということを説いているわけではありません。
丸腰のASD思考で社会に戦いを挑めと言っているのではありません。
私はその先に進む覚悟の話をしているのです。

ASDである私が、今までどんなことを思い、どんなことを経験してきたかを、このブログで幾つかのエピソードとして書き込んできたつもりです。
定型ではないことで独自の思考パタンを生み出し、それ故にズレの修正に苦しみ、悩んで体調を崩した末に自分の思考パタンを定型からずらしている正体「ASD」を知る。
そして、そのASDによる私独自の思考パタンを常用する自分自身を変えることは難しい。
それはコンピュータのプログラムを書き換えるような話ではないのだとお話ししてきたつもりです。

だから私は、自分自身の思考そのものを積極的に受け入れる覚悟をしたのです。

先日「魔女の宅急便」の話をしました
主人公のキキが、生まれながらにして持つ「魔女としての血」を引き継ぐという決意を以て13歳の満月の夜に旅立ったのかと言えば、そこまでの覚悟があったとは私には思えないのです。
私は、上手く魔法が使えなくなり、その時に飛行船の事件が起きて「行かなきゃ」と思うそこに初めて魔女としての「本当」のアイデンティティの芽生えがあって、デッキブラシに乗って上手く飛べずに「真っ直ぐ飛びなさい!燃やしちゃうわよ!」という言葉に魔女としての「覚悟」をがあっただろうと感じるのです。

キキも一から十までの全てにおいて魔法を使って生きているわけではありません。
使わなくても普通に生活しているし、普通に合わせることだってできるでしょう。
でも、彼女は映画のエンディングで、魔女としてのアイデンティティを獲得して受け入れる様子がユーミンの名曲の乗ってハッピーに表現されるワケです。

自らの根幹を成す思考の中心を否定することは苦しい。
キキが魔女としてのアイデンティティを獲得するに必要だったのは、おそらく「覚悟」。
そして私がハッピーに生活するために必要なのも、きっと覚悟なのだろうと。

ASDであることが私のアイデンティティの基本的な部分を作っています
ここを否定してはいけないと私は思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/6/16

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