見出し画像

Episode 331 ココロを押していないのです。

作用反作用の法則(正しくは運動の第3法則と言うらしい…)は、「物体Aが物体Bに力を加えると、必ずBもAに同じ大きさで反対向きの力を返します」という原理を現した法則で、人が歩くのも走るのもこれがあるから出来るわけです。
「大地を蹴って前に進む」…って、大地が蹴られた分を押し返すから私は前に進めるわけで、大地が押し返さなければ前に進む推進力を得られないということです。

私はこの作用反作用の法則って、人間のココロにも起こっているのかな…と思うことがあります。
私があなたのココロを押した分だけ、私のココロも押されている…そう感じることがあるということです。

ASDの私はコミュニケーションが苦手で、上手に相手の気持ちを推し量ることができません。
私は以前、このコミュニケーションの部分を欠いて物理的で具体的な物差しだけで生活しようとした結果、仕事で上手くいかないことが数多く発生したとお話ししました。

仕事であるが故に「淡々とドライにするべきことをする」という、感情を極力下げた方向で業務にあたってきたのは事実だと思います。
ただ、人間は機械ではないワケで、仕事に対して必要最低限のモチベーションは要るのです。
私も仕事が楽しいと感じたことがあったワケでして、それは「仕事が上手くいく」という成功体験だったということは恐らく間違いないのです。
仕事を評価される…とは、具体的な成果が数字に表れてくるということで発生することがほとんどです。
ただ…忘れてはいけないのは、出てきた具体的な数字を評価するのは、人間の感情の部分だと言うこと。
仕事を評価してもらった私は、上司にキチンとココロを押してもらったと言うこと。

私は、ココロを押した分だけココロ押されるという距離感を保つことが出来ないのだと思います。
一番ちかくにいるパートナーとの距離感さえ怪しい…無意識のうちに一人称のカオナシがパートナーを後ろから抱きかかえていたりします。
感情がメインのパートナーと私の関係であってもそうなのです。

仕事というのは「労働の対価としてお金を得る」ことが目的であって、そこにコミュニケーションという人の感情をどのように入れ込むのかが私にはわからない。
たから私は感情を表に出さず、仕事を物理的に捉えて業務にあたってきたワケです。
私の中には、そのやり方で評価されてきた自負があったのです。
でもそれは評価してくれる人がいて初めて成り立つワケで、全てに通用する一般論ではないのです。

今の部署に異動して2年が経過しました。
ある程度仕事を覚え、後進の指導を任され、日々のサイクルを上手く回すために指示を出さなければならない立場になって…そして昨日、職場で弱点を指摘されました。

どうしても、コミュニケーションの部分が抜け落ちる。
上手くいかない部分を具体的に指摘して、上手くいくようにアドバイスしてきたつもり…。
でも、そこには相手のココロを押すコミュニケーションが存在しなかったのかもしれません。
相手の立場に立ったつもりで、私が思っているやり方をアドバイスしているだけだったのかもしれません。
そこに感情のやり取りが存在しなかったのかもしれません。
だから、相手はやり方を強要されている様に感じたのかもしれません

私は職場のみんなのココロを押しているのか?
職場のみんなが私のココロを押しているのか?

仕事を覚えて、業務が増えて、見通しが効くようになるこの時期に発生するコミュニケーションの問題は、忘れたころに現われるから質が悪いのです。

軽度の発達障害の最大の問題点は「明らかにオカシイ」がないこと。
目に見える問題が日々発生するわけではないので、職場のように「仕事という限定されたおつき合いの仲間」だと、少しずつのズレを我慢してしまう傾向が強いのだと思います。
そして、仕事での影響力が強くなりだしたころに「積もり積もった小さなオカシイ」が一気に噴き出す。

職場が苦手です。
中途半端に私のことを知る人が苦手です。
クローズドで仕事をしている私は、私の発達障害を職場に公表できません。
オープンにしてみたところで、本当のところを理解されるとも思えません。

職場の悩みは、発達障害を抱える人にとって最大の悩みのひとつです。
今後どのようにしていくのか、盆明けから難しい局面を迎えそうな雰囲気です。

旧ブログ アーカイブ 2019/8/11

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?