見出し画像

Episode 374 低気圧の中心です。

「北風と太陽」のイソップ寓話は、物事に対して冷たく当たる態度と、温かく対応する態度を対比する有名なお話です。

旅人の上着を脱がすのに冷たい風を浴びせるのか、暖かい日差しを浴びるのか…とどのつまり、力業の剛腕では上着を脱がすことは出来ないということです。
勿論、力業でも強引に押さえつけて引き剥がせば物理的に上着を剥ぎ取ることは可能でしょうが、この寓話の真意には「心を開かせるとは何なのか」ということがあるワケでして、そう言う意味ではどんなに強引な力業で上着を剥ぎ取ってみたところで心開くことなどないのだ…と言っているのだと私は思います。

ASDの私は常に北風に晒されて生きてきた…と思うことがあります。
それは言葉を感情を伴わない「指示」として理解する独特な思考パタンを持つことによって発生するのだと私は思います。

「普通」の人たちが囁く言葉には私の理解できない「感情」が乗っていて、理解できない部分に対応するアウトプットを状況に合わせて物理的に選び出すことで表面的なコミュニケーションをこなすのです。
それは普通の人と称される定型者が作り上げる「マジョリティの社会」を生き抜いていくために編み出した知恵だったワケです。
これは「ブラックボックス」という表現で度々このブログの中に登場している事柄でもあります。

ブラックボックスを経由して表現されるアウトプットには、定型者が「あなたとわたし」のやり取りの中で無意識のうちに理解する自他境界線の認識がありません。
それ故にあなたとわたしの感じ方をすり合わせようとする「ズレの修正」の概念がなくて、あなたは私の意見を受け入れるのか否か…の二択を迫られることになってしまうのだろうと思います。
定型者のあなたは自分の考えをその場で修正することができるから、違和感を感じながらも私の意見に合わせることができるのです…ただ。
一度二度ならば、私の意見に合わせてくれるとこにそれほど違和感はないでしょうが、「ことあるごとに」となれば…どうでしょうかね?

自分の意思が殆ど反映されない相手と良好な関係を作るのはかなり難しいことです。
あなたはその難しい相手である私と一緒にいることに窮屈を感じれば、自然と私の傍を離れて行くことを選ぶことになるでしょう。
私の方としては、あなたに対して「いつもの対応」を「いつも通り」にしているだけなんですけどね…。

私の傍から離れていく人は、私に対して一歩引いた他人行儀な態度を取るようになります。
それはそうです…仲の良い間柄と同じ対応なワケはありませんよね。

人が寄り付かない私…。
それは私が「あなたとわたしは違う人間だから、当然だけど意見が違う」ということを認識できないから、自分の意見の現場合わせの修正が出来ずに「自己中心的」な人物にみえてしまうことによって起こるのです。

たから私の周りでは、いつも冷たい北風が吹いているように感じる…。
それはそうですよね…低気圧の中心は私のココロなのですから。
でも、北風を吹かす根本が私自身にあるなんて思わないじゃないですか。
この「社会」を生き抜く知恵こそが北風の原因だと誰が思いますか?

吹き付ける北風に上着を押さえて寒さを凌ぎなから「なんで私にはいつも冷たい北風が吹いてくるのだろう…」と考えるのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/10/22

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?