ドラマ『恋のツキ』小分析
4 20.59
2か月ほど前にNetflixで見つけた日本のドラマ『恋のツキ』を再び観なおしている(スペインのネットフリックスを視聴中なので、日本のでみられるかは不明。英語タイトルはLove and Fortune)。
主演の徳永えりの何とも言えない空気感と濃厚なラブシーンが恋しくなったのが主な理由だが、観始めてから最近26歳の誕生日を迎えた私にとって、年の差恋愛というシチュエーションが、何とも夢があるというか、より喜ばしいものとして映ることに気が付いた。
10代のころは、年上の男の人ばかり素敵に映った。学校の先生や近所のお兄さん、ビジネスマンのおじさんなど、自分よりたくさんのことを知っていて、リードしてくれる人にあこがれを感じた。20代に入ってからは同年代の男の子たちと真剣に語り合ったりする機会が増えて、恋愛対象年齢がググっと広がった。
今、26歳で、初めてパートナーと生活を共にしているなか、出会ったばかりのころとの関係性の変化など、主人公のワコちゃんと共感できるところが多いというのも私がこのドラマにはまっている理由の大きな一つだと思う。
さて、エピソード4の終わりのほうで、初めて観たときには印象に残らなかったあるセリフが引っ掛かった。
ざっとそれまでのあらすじを言うと、三年間同棲中の彼氏に不満を抱えるワコちゃん(31歳)は、顔面がドタイプの15歳のイコ君に恋をして、一線を踏み外してしまいます。彼氏に申し訳ないと思いつつ、イコ君にキュンとしてワコちゃんは心の中でこうつぶやきます:
「イコ君は私に必要なものをくれるわけじゃない。でもきっとイコ君は、私にほしいものをくれる」
このセリフの前に別の場面で、彼女は彼氏で妥協しようとこういうつぶやきもしています:
「フウ君は私に必要なものをくれる」
とてもとても受け身な恋愛観。相手に何かを求める恋愛というのは、幸せになれなさそうだなあと観ているこちらも心配になりつつ、イコ君に対してはとてもぐいぐいいく彼女の内的不均衡になんだか共感してしまった。
自分は恋人にとって、「必要なもの」をあげるひとなのか?それとも「ほしいもの」をあげるひとなのか?
はたまたあなたの恋人はあなたにとって、「必要なもの」をくれる人?それとも「ほしいもの」をくれる人?
私の考えでは、「ほしいもの」を与え合える関係がより尊いんじゃないかなと思う。(そしてこのドラマ自体もそれをメッセージの一つとして物語が進んでいく、と私は解釈している)「必要なもの」は自分で何とかする。そこに生きがいだとかがあるわけで、パートナーっていうのはお互いの夢とか目標をすごいね、頑張ってるねって励ましたり落ち込んでるときに温かく守りあえるために必要なんであって、依存するためにあっちゃ不健康だと思う。
などと自分の人生と照らしてたっぷり感情移入できる質感のリアルなドラマ『恋のツキ』、良かったらぜひ観てみてください(番宣ではない)!
それでは
ほたる
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