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夕焼けを他人事だと思った私へ。

吉野弘の詩のひとつに、「夕焼け」という作品がある。

夕焼けを題材にした詩は数多く存在するし、私もいくつか書いてきたが、ここまで美しい詩はほかにない。知らない人のために、引用したいと思う。

「夕焼け」
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に。
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
身体をこわばらせて---。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

吉野弘

この詩をはじめて読んだのは、まだ10代の頃だった。私の地元には電車が通っていないが、よくバスには乗っていたので、頭の中でバスに変換して読んだのを覚えている。

娘が持つ良心と勇気と、それを何度も行う羞恥心と、おそらくは「なんで自分ばかり」という少しばかりの不満を、極めて美しく描いている。当時の私は非常に感銘を受けた。

自分自身も人に席を譲るのはとても勇気のいる行為だったため、この娘が三度目には席を譲らなかったのも共感できた。できることなら気軽に席を譲れるような人間でありたい。しかし、現実には席を譲る際には純粋な善意のほかにも様々な感情が交錯する。

老人を労りたいから譲りたい。
周囲の人が見ている気がする。
譲らないと自分が悪者になる。
でも良い人ぶってると思われるかも。
断られるかもしれない。
恥ずかしい。
知らない人に話しかけるのが怖い。
自分だって疲れている。

一度にたくさんの感情と戦いながら、なんとか口を開き、身を削るような思いで席を譲るのだ。

これはきっと内気な人間にしかわからない感情だろう。しかし、私にはよく理解できた気がした。何気ない生活の風景の中に潜む心の機微を、ここまで細かく描写することができた吉野弘という人は、やはり優れた詩人というほかない。当時、私はこの詩人の凄さに打ちのめされたのを覚えている。

あれから10年の時を経て、偶然またこの詩を読む機会があった。当時は地元でくすぶっていた私は、今は東京で働いており(くすぶっているのは変わらないが)、一応社会人という枠の中で生きている。

そして、毎日満員電車に乗っている。

私はこの詩を読み返し、しばらく呆然としていた。当時、私はこの詩を「自分ごと」だと思っていた。少女の辛さや恥ずかしさに深く共感することができた。しかし、今は共感というよりも、どこか美談のように感じられる。まるで、自分とは関係のない「他人事」のように。

この10年で、私は変わってしまっていたのだ。

電車で席を譲らないことも増えた。
人とぶつかっても謝らなくなった。
困っている人がいても関わらなくなった。

上京した当時、感情を押し殺して忙しく行き交う人々がロボットのように見えた。道を訪ねても無視され、あるいは面倒くさそうな対応をされた。人の心を持たない、冷たい人間なんだと思った。東京の人は地方の人間とはどこか違う。まるで外国人のようだった。

しかし、今の私はどうだろうか。10年前に「夕焼け」を読んで感銘を受けた頃の私は、まだ心の中にいるのだろうか。生きることに、働くことに必死で、かつて大切に抱えていたものを手放してしまったのではないか。お金や安定を掴む時に、手のひらからこぼれ落ちてしまったものがあるのではないか。

星の王子さまに出ている大人たちのように、物事の本質が分からなくなってしまっているのではないか。

きっと、日々の忙しさや辛さを理由にして自分の心と向き合わず、手入れを忘れ、いつしかサビだらけの感性になってしまったのだ。

これまでも薄々は気づいていた。けれど、「これは大人になったということなんだ」と自分に言い聞かしていた。自分は間違っていないのだと思いこんでいた。蓋を開けてみれば、愛する人も友人も離れていき、孤独な人間が出来上がっただけだ。

このままいけば、今いる数少ない大切な人たちもいなくなってしまうかもしれない。

私はおそらく、今ここで立ち止まって自分の人生について考える必要がある。何が大切で、何が不必要なにか。価値観の軸となっている思考を洗い出し、心の手入れを再び始めなければならない。

少しずつでいい。ゆっくりと、いつか吉野弘の「夕焼け」を自分ごととして感じられるようになるまで、諦めずにゆっくりと、学び直そう。

大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。