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noteに書くネタを忘れる病に悩まされている件について

人間、適当に生きていれば「あ、これnoteで書こうかな」と思うような出来事や思考に巡り合うものだ。

時が無償で働き続けることに憤慨しストライキを起こさない限りは、時間というものは常に進み続けるし、1日だって同じ日はこない。

だから本来noteに書くネタがないと困るわけはないのだが、果たして一体なぜなのか、私は毎日ネタに頭を悩ませている。

毎日投稿を初めて以来、一度たりとも「このネタをnoteで書こう」と思って取り組んだことはない。

常に殺るか殺られるかの一発勝負。残弾など一発も持たずに荒野の決闘に挑んでいるのである。

それでもなんとかnoteを書き終えると、「明日は事前にネタを考えておこう」と心底思う。それはもう心底思う。そして拳を固く握りしめ、来たるべき決闘に備え、布団の中に潜り込むのである。

翌朝になると、前日の意気込みは日光に照らされた吸血鬼のように蒸発しており、「なんか昨日の夜考え事してたな」とぼやくことから1日が始まる。

それが私の輝かしいルーティーンだ。

それでもなんとか日中に前日の決意を思い出すことがある。そんな日はすぐにnoteのネタ探しをし、めぼしいネタを見つけたら一安心し、「帰ったらすぐに書こう」と小さくガッツポーズをする。

家に帰るとまず風呂に入るところから始まる。そして簡単な食事を作り、Bishの「stereo future」を聞きながらそれをかっこむ。

時刻を確認し、「まだ余裕があるな」とYoutubeの動画やゲームをする。

21時を回ってようやくnoteを書くためにPCに向き合う。

真っ白なページを見て私は静かにこう呟く。「なに書くんだっけ?」

私は若年性のアルツハイマーなのだろうか。そのうち今日食べた朝食の内容すら忘れるのだろうか(すでに思い出すのに時間がかかる)。なんと嘆かわしい。私が一体何をしたというのか。

賢いあなたはこう思うだろう。「メモ取ればいいだろハゲが」と。

しかし、そのメモを取るということですら、私は覚えていられないのである。あまりナメないでもらいたい。

かくして私は、毎日毎日「今日は何を書こうか」と真っ白な状態から記事を書き始める生活を送っているのである。

はっきり言ってしんどい以外のなにものでもないが、実は真っ白な状態から自分が何を書くのかちょっぴり楽しみな部分もある。

noteに毎日向き合っている人はどんな風に記事を書いているのだろうか。私は西部劇のごとく、常に一発勝負である。

大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。