ちょっぴりダメな人が集う喫茶店「みよし」②
思い切ってドアを開けると、頭上でカランっと小さなベルの音がなった。カウンターのほうから「いらっしゃい」と優しげな声が聞こえた。店内はこじんまりとしていて、カウンター席が4席、二人用のテーブル席が2席あるだけだった。
私は黙って頭を下げ、手前のテーブル席に腰かけた。他には誰も客がいなかったから、テーブル席でも迷惑はかからないだろう。鞄をおろして一息つくと、店主らしき人が水をもってやってきた。
「どうぞ。メニューはこちらをご覧ください。食事は大したものはありませんが、簡単なものなら出せます」
声の通り、その人は穏やかで優しそうな風貌だった。よれよれのシャツの上に地味な色のエプロンを着ていて、頭が中途半端に禿げあがっている。”優しそう”ではあるものの、見方によっては”ダメそう”な感じがした。私は少し親近感がわいた。
「ありがとうございます」
私は短く礼を言うと、さっそくメニューを見た。あんなことの後なので、あまり食欲はなかったが、とりあえずコーヒーにサンドイッチをつけて注文することにした。
「あの」
顔を上げて注文をしようとすると、声を発する間もなく店主はこちらへやってきた。
「お決まりですか?」
「はい、ブレンドコーヒーとクラブサンドを」
「かしこまりました」
店主は頭を下げてカウンターの奥へ下がった。絶妙な距離感で接客してくれる人だな、と私は思った。言動にしても見た目にしても、必要以上の干渉がない。かといって、客を放置するわけでもない。気にならないところで見守っているというような感じの接客だ。
コーヒーとサンドイッチを待っている間、私は店内をぐるりと見まわした。昭和の頃に流行っていたような洋風の装飾で、ほどよい気品がある。壁には3つほど絵が飾られている。すべて童話をモチーフにした絵のようだった。なんだか店の雰囲気に合っていないような気がしたが、店主の趣味だろうか。
しばらく店内の観察をしていると、奥から店主が現れた。目の前にコーヒーとサンドイッチが置かれる。淹れたてのコーヒーの香ばしいにおいがする。急にお腹がすいてきた。
私はコーヒーよりも先にまずサンドイッチをかじった。レタスとトマトと卵を挟んだ簡易的なものだったが、十分においしい。卵がふわふわなのでトーストのサクサクとした食感との対比が生まれて何度もかじりたくなる。
サンドイッチを三口ほどかじると、今度はコーヒーを飲んでみる。少し濃いめだが、深みがあって気分をリフレッシュさせてくれる。不思議と体中の緊張をほどいてくれるような味だった。
「あの、コーヒーおいしいですね」
私は思わず店主に向かってコーヒーの感想を口にした。普段は店員であっても見ず知らずの人に自分から話しかけるなんてことはしないが、自然と言葉が出ていた。
店主はにこりと笑って、「気に入っていただけて何よりです。魔法をしのばせてありますので」といった。
「魔法?」
なんだか気の利いたことを言う人だな、と思って聞き返すと、店主はふふっと笑っただけでそれには答えなかった。店内には無音の上に薄くジャズソングが流れていた。
まだ一度訪れただけだが、私はすでにこの喫茶店が気に入っていた。コーヒーがおいしいのはもちろんのこと、店内の雰囲気もいいし、店主も話しやすい感じがする。
私は改めて店主をじっくりと観察した。ぱっと見はさえない中年という感じなのだが、立ち振る舞いには気品があり、人に嫌悪感を抱かせないように配慮しているような感じがある。また、その柔らかな表情は他者の心のガードを緩め、親近感をもってしまうような無防備さがあった。
「コーヒー、とてもおいしいです。実は今日嫌なことがあったのですが、なんだかチャラになったような気分です」
店主はまたにこりと笑って「そうですか。それはなによりです。そういう目的でコーヒーを淹れましたから」と頭を下げた。
「そういう目的?」
また答えてもらえないかもと思いつつ聞き返すと、今度は答えてくれた。
「お客様が店にやってこられたとき、なんだか落ち込んでいるような表情に見えました。それで、少しでも元気が出るようにとおまじないをかけました」
私は思わず噴き出した。”おまじない”なんて、現実の世界で本当に言う人がいるなんて思ってもみなかった。でも、それでもちょっぴり嬉しかった。これまで誰にも気にかけてもらえない生活を送っていたから、自分のために気持ちを込めてコーヒーを淹れてもらえるなんて感動的だ。
「でも、なぜはじめて会った私を見て落ち込んでいるってわかったんですか? もしかしたらはじめから”落ち込んで見えるような顔”なのかもしれないのに」
私がそういうと、店主は笑って「たしかに、そういう顔の方もいらっしゃいますが、そういうのは見分けがつくんです。長年こういう仕事をしていると自然と身につきます」と言った。
そういうのものなのか、と感心していると、「うちはおかわりは無料なんです」店主は空になったカップにコーヒーを注いでくれた。
すっかり心が緩んでしまった私は、もう少しだけ自分の話をしてみたいと思った。
大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。