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【ちょっと一息物語】気まぐれに死んだ彼女

【ちょっと一息物語】は、その名の通りコーヒータイムや仕事の合間、眠る前のちょっとした時間に読んでいただけるような短い物語です。今夜は、かつて死んだ友人を思う主人公の物語です。それでは、ゆるりとお楽しみください。

カラカラカラ・・・深夜の和室にいつもの音が鳴り響く。ときに激しく、ときには休憩しながら、気の済むまで走る。走り続けていれば、どこかへ行けると信じているように。

何をするにも気まぐれな人だった。

買い物に行くときには「あっちのほうが晴れてそう」なんてよく分からない理由で他県まで遠出するし(実際にはそこも雨だった)、恋愛するにしても「マニキュアが割れたから不吉」という理由で3年付き合った彼氏を一晩のうちに切り捨てることだってあった。

彼女はよく自分のことを猫のようだと言っていたけれど、私からしてみれば猫のほうがよっぽど筋道を立てて生きているように感じた。もしも彼女が本当に猫だったとしたら、おそらく猫界の中でもひときわ気まぐれな猫になっていただろう。

私と彼女は何から何まで真逆だった。私は何かをするときにはまず目標を掲げ、それから何が必要かを考え、リスクをくまなく探してから慎重に行動しはじめる。だから、何をするにも動きが遅いし、実際になにかを達成するには相当時間がかかった。何かしらの枠からはみ出ることを好まず、髪の色も黒でなければ気がすまなかった。

一方、彼女は一言でいうならば”無鉄砲”だった。それまで全く興味のなかったことでも、ある日思いついたように行動に移す。頬を赤らめながら自分のプランについて熱弁し、そして相手の反応など意に介さず実際にやってしまう。誰かが決めたルールの中で生きることに耐えきれず、髪は常に赤や緑といった常識はずれな色に染まっていた。

あの日、彼女はいつものように気まぐれに私を連れ回していた。細かい糸のような雨が降る寒い夜で、急に彼女から焼き鳥が食べたいと連絡があったのだ。当然、彼女が店を予約していることはなく、3軒ほど入店を断られたあと、私達は飲み屋街から少し離れた路地を歩いていた。

雨だというのに、空には不自然なほどくっきりと月が輝いていた。彼女は「ノルウェーに行きたいんだよね」と唐突に言った。それを聞いて私は本当に行くんだろうな、と思った。だから理由は尋ねなかった。彼女もまた、私が何も聞かないことが嬉しいようだった。

しばらくふらふらと歩いていると、人気のない高架下で若い女性が何やら酔っ払いの男に付きまとわれているのが見えた。この辺ではよくあることだ。可哀想だが、そのうち男も諦めて去っていくだろう。私はとくに助けに入ろうとも思わず、通り過ぎようとした。

しかし、彼女はその男のもとへ歩み寄り「どうしたんですか?」と声をかけた。普段の彼女なら他人に決して干渉しないはずだが、この日はそういう”気まぐれ”な日だったらしい。酔っ払いは「おめーには関係ねーだろ!」と怒鳴った。

それを見た彼女は女の人の手を取り、「行きましょう」とその場から連れ出そうとした。女の人は少しほっとしたような顔でただその言葉にしたがった。酔っぱらいはそれが面白くなかったらしく、「待てよ!」と彼女の肩を掴んだ。

「離せよ」と彼女は冷たく言い放ち、男の手を払い除けた。男は一瞬たじろいだ様子だったが、顔がみるみるうちに真っ赤に染まり、持っていたカバンの中をごそごそと探り始めた。私は少しだけ、嫌な予感がした。

彼女と女の人は手をつないで私のもとへ歩いてきた。私は女の人に「大丈夫ですか?」と聞き、緊張をほぐすように少し微笑んだ。女の人は小さな声で「ありがとう」と言った。その時、背後から獣の咆哮のような声が聞こえた。見ると、男がナイフを持って女の人に向かって走っていた。よく聞こえなかったが「よくも〇〇を騙したな!」というようなことを言っていたと思う。

3人とも恐怖と驚きで固まっていた。男がナイフを刺す間際、彼女が女の人を押しのけてなにか叫ぶのが聞こえた。高架の上では求人バイトの宣伝カーが近所迷惑でセンスのないオリジナルソングを垂れ流していた。空には相変わらず、不自然に月が輝いていた。

カラカラカラ・・・・

私はその音のほうを見る。彼女から託されたハムスターは、カゴの中の回し車を一心不乱に走っている。まるで走り続けていれば、どこかへ行けると信じているかのように。

枠の中にとらわれるのが大嫌いだった彼女が、なぜカゴの中でハムスターを飼っていたのだろうか。もしかしたら、枠の中から抜け出そうとしても、結局は同じところをグルグル回っているハムスターに、どこか自分を重ねていたのかもしれない。

その答えは永遠にわからない。彼女はもうこの世にいないのだから。私の前に気まぐれに現れ、気まぐれに友情を育み、そして気まぐれに去っていった。

カラカラカラ・・・

彼女のことを思い、振り切ろうとしてもまた同じところへ帰ってくる。私もまた、回し車の中であてもなく走り続けているのだ。



大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。