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『kiss』

※BL小説。苦手な方、15歳未満の方は、閲覧をご遠慮下さい。


 唇に押しつけられていた熱が去る。今の今までぴったりと合わさっていた、柔らかいもの。
 その感触が去ってしまうのが惜しかった。薄目を開けたとたん、ダークブラウンの虹彩に吸い込まれそうになって、俺は背筋を走り抜ける旋律にからだを震わせる。
 まだ部活の奴らが残っている学校では、グラウンドで練習中の野球部員のかけ声が聞こえる。高校の旧校舎の非常階段。誰に見つかるとも知れないこんな場所で、男同士でキスなんて、長々としていられるはずもない。
 それでも、さっきまで俺の唇を覆っていた柔らかくて温かくて心地よかった瀬川(せがわ)の唇を、ぼんやりと見つめてしまう。俺はきっと酷く物欲しそうな顔をしているに違いない。


 こんな風に瀬川とキスするようになったのは、二年に進級してからだ。一年で同じクラスだった瀬川と、別々のクラスになった始業式の帰り道。待ち合わせて帰る道すがら、俺は不満を込めて言った。
「俺、貼り出されてるの見てすげえガッカリした。瀬川と同じクラスが良かった」
「そうだな」
 瀬川の声は落ち着いていて、俺だけが残念がっているかのようで何だか悔しかった。いつも大人びて見える友達を揺さぶってみたいような、意地悪い気持ちが湧いてくる。
「でも今のクラス、結構可愛い子多いんだ。森山(もりやま)とか、矢島(やじま)とか。今年は俺も、彼女とか作れるように頑張ろうかな」
 瀬川が黙り込んでしまったので、俺は急に不安になる。
 何か言え。何か言えよ。
 児童公園を横切ろうとしたとき、突然二の腕を取られた。腕に食い込む指が痛いし、引っ張る力もいつになく強引だ。
「何だよ、放せよ。痛いよ……」
 どうやら瀬川を怒らせてしまったらしいことに、酷く動揺していた。いつだって瀬川は、俺には優しかったのに。

 引きずられるように木立の奥に連れ込まれる。樹木に背中を押しつけられて、両肩を強くつかまれた。初めて見る瀬川の怒った顔に、俺は怯えた。
「彼女作るとか、言うな」
 声もすごく怖かった。いつも落ち着いていて大人びた瀬川の、初めて聞く怒っていて余裕のない声。
「他の奴のこと、見るな」
 険しい顔が近づいてきて、怖くて目をギュッとつぶる。次の瞬間、唇にしっとりとして至極柔らかいものが触れて、離れていった。
 瀬川にキスされたんだ。
 そう気付いて、じわじわと衝撃に浸されていく。全身が火照り、頭が熱くなった。 
「ファーストキス……」
 やっとの事で唇から出てきたのは、そんな弱々しいつぶやきだけだった。
「初めてだった?」
 こっくりと頷いた俺に、瀬川はやけに色っぽい顔で笑って言ったのだ。
「じゃあ、今からセカンドキス、してもいい?」


「口、開いて」
 児童公園での最初のキスから二ヶ月が経つ。この眼差しで見つめられると、俺はバカみたいに言われるがままになってしまう。
「舌出して」
 魔法のような眼差しに抵抗できずに言われたとおりにすると、自分のものよりやや厚みのある舌が、俺の舌を舐めた。
 とろけてしまいそうで怖い。怖いのにうっとりとして俺は目を閉じる。唇よりも柔らかいのに弾力があって、身をひるがえす魚のようにとらえがたい塊……。
 いつしか夢中になって、俺も瀬川の舌を舐めた。それでも足りずに唇を合わせていったのも俺の方だ。絡まり合う濡れた肉。瀬川のそれが俺の口の内側の粘膜を這い出すと、もう俺には為す術がない。
「ん……っふ……んぅ……」
 くぐもった声と唾液が溢れて、いろんな場所から他のものも溢れそうになって、立っていることができなくなる。かくっと膝の折れた俺を抱きしめて、瀬川はキスを続けた。脳みそまで攪拌されてドロドロに溶かされるようなキスを。

 唇と舌がやっと解放されたとき、俺は息も切れ切れになり、目の前も霞んでしまっていた。きっととんでもなくみっともない顔をしているはずだ。すぐにはこの階段を降りていけない。
「早乙女(さおとめ)は本当にキスが好きだよな」
 言い返したいけれど、心が水風船のように膨れあがって今にも弾けてしまいそうで、とても喋れる状況じゃない。
 俺が好きなのはキスじゃない。お前とするキスが好きなんだ。
「そんな可愛い顔するなよ」
 続けて耳元に落とされた、アイスピックの囁き。
「もっとしたい。早乙女を抱きたい」
 心の水風船が破裂する。
 キスだって、人目を盗んでこんな風に。それなのに、そんなこと。
 お前のうちで? 俺の部屋? ふたりっきりになるチャンスはそうないし、無理に決まってる。
 だから、そんな風に言わないで欲しい。たとえ階下に親がいても、お前に求められたら、きっと俺は断れないだろう。そんなことばかり、これから想像し続けてしまうから。
 今だっていつでもキスして欲しくて、二人になれるチャンスを窺ってしまう俺なのに。これ以上難易度を上げられたら、なかなか訪れないチャンスへの期待と緊張とで、へとへとになってしまうだろう。
 瞳で、舌で、俺に呪文をかけただけじゃまだ足りない? そんな言葉でもうこれ以上、俺には解けない魔法をかけないで。

〔了〕


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