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『ミントの刺激、バニラの香り 5』

※BL小説


 アパートへ戻った僕は、玄関に飛び込むとずるずると座り込んだ。
 胸が苦しい。熱くて、ぐつぐつ煮えているみたいに泡立って、今にも吹きこぼれそうだ。
 どうして有紗ちゃんにシフトを変わるのは嫌だと言えなかったんだろう。
 どうして秋見くんにはつき合っている人がいると言えなかったんだろう。
 もしも君が寄らないかと誘ってくれたとき、君のアパートに行っていたら。
 もしもその時自分の全てを君にさらけ出すことが出来ていたら。
 きちんと彼女に言えたんだろうか?
 そう思うと煮え崩れた胸がどろどろと流れ出しそうで、僕は気分が悪くなってトイレに走り、嘔吐した。
 君を好きな気持ちは、世界中の誰にだって負けやしないのに。
 君を好きになったのだって、彼女より僕の方がずっと前からなのに。

 長いこと膝を抱えてうずくまっていた。 
 同じ姿勢で居たためにすっかり痺れた体を伸ばし、時間を確かめるために携帯を見ると、アイスクリームショップの営業時間を過ぎていた。
 玄関を出て、駅に向かう。もしも君に会えたら、僕は僕の全てを使って君を引き留めるつもりだった。失いたくない。……失いたくない。
 バイトに行くときに乗る電車に乗って、いつも降りる駅を通り過ぎて、君のうちの最寄りの駅に降り立った。随分道に迷ったけど、教えてもらった住所を頼りに、とうとうアパートを探し出した。
 部屋には灯りはついていない。君が帰っていないことに、背筋が寒くなるような恐ろしさを覚えた。もしかしたら、君は有紗ちゃんと一緒にいるんだろうか。
 どこにいるの?
 何をしているの?

 君のアパートの前にしゃがみ込んでから、どれだけ時間が過ぎただろう。
 すでに歯の根が合わなくなっていたけど、どうしても今夜中に君に会いたい。
 12時近くなっても君は帰らなかった。寒さと怯えで震える手で君のアドレスにメールをする。
『真人です。今日は慌てて帰ってしまってごめん。今どこにいますか』
 しばらくして君からメールが来た。
『うちにいる。何だか疲れたからもう寝ます』
 ……君が嘘をついた。
 うちにいるって。
 いつもと違って素っ気ない言葉。
 決定的だ。
 僕の怖れは現実になり、失いたくないと駅に走ったときには既に手遅れだったのだ。
 僕は失ったものの大きさに打たれて立ち上がることが出来ずに、好きな人のむごい言葉を映し出した携帯を額に当てた。
 秋見くん。
 もしも君が誘ってくれたとき、君に応えることが出来ていたなら、僕は君を失わずにすんだのだろうか?

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